真面目が肝心:あらすじ・原書で読んだ感想・考察 オスカー・ワイルド

真面目が肝心 オスカー・ワイルド アイルランド

『真面目が肝心』とは?

『真面目が肝心』はアイルランドの小説家・劇作家のオスカー・ワイルドさんによる喜劇です。

初演は1895年のロンドンで、作者の絶頂期に発表。そのクオリティーの高さからワイルド劇の頂点とも評されている名作です。

「真面目」とタイトルにあるものの、内容は真逆のコメディーで、ウィットに富んだ会話と馬鹿馬鹿しい状況を通じて、ヴィクトリア朝(ヴィクトリア女王治世の1837年から1901年)の伝統と偽善を風刺。ユーモアとアイロニーでその軽薄と虚飾を晒しました。

シリアスな『サロメ』や『ドリアン・グレイの肖像』とは真逆に分類すると、その位置づけを整理しやすいです。

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『真面目が肝心』のあらすじ

アルジャーノン・モンクリフはロンドンに住む裕福な紳士。都会では真面目(Serious/Earnest)なふりをしていますが、根は怠惰(Idle = Serious/Earnestの逆)です。そこで、田舎に体調の悪いバンベリーという架空の友人をでっちあげ、彼のお見舞いを口実に、田舎と都会の二重生活を営んでいます。アルジャーノンは、これを「バンベリーする(Bunburying)」と呼んでいます。

アーネスト・ワージングはアルジャーノンの友人で、田舎に住みながら頻繁にロンドンを訪れています。実はこの男、田舎ではジャック・ワージングという本名で真面目なふりをしていますが、ロンドンに住むアーネストという弟の世話をするという口実で、頻繁に都会を訪れ、都会ではアーネストと名乗り、田舎と都会の二重生活を楽しんでいます。

ある日、アルジャーノンはアーネストが置き忘れた煙草入れの中に「セシリー」という女性の名前を発見します。そこから、自分だけでなく、アーネストも「バンベリー」していることを白状させます。

セシリーが気になったアルジャーノンは、ジャックの弟アーネストの振りをして、ジャックの田舎をこっそり訪問。しかし、ジャックはもうバンベリーは止めることにして、弟のアーネストは死んだと身内に告げていて・・・

これだけでも複雑なのに、さらには、アーネスト(の振りをしているアルジャーノン)をセシリーが好きになり、アーネスト(本名はジャック)にプロポーズされたグウェンドレンまで田舎にやって来て、嘘に嘘が重なりもうぐちゃぐちゃに。

オスカー・ワイルドさんは、この状況をどう着地させるのか?

『真面目が肝心』の感想・考察

日本語版で省略された副題

『真面目が肝心』の原文タイトルは『The Importance of Being Earnest(真面目であることの重要性)』。

しかし、原文には日本語版では省略されている『A Trivial Comedy for Serious People(真面目な人々に向けた、取るに足らないコメディー)』という副題が付いています。

オスカー・ワイルドさんは『サロメ』や『ドリアン・グレイの肖像』などで、真面目な作品を書く人というイメージが強いかもしれませんが、『真面目が肝心』は真逆のコメディー。

その認識をしっかり持つために、原文にある副題は重要だと思いました。

  • Serious:真面目な、重要な
  • Trivial:取るに足らない(seriousの対義語として)

オスカー・ワイルドさんの最高傑作?

『真面目が肝心』はオスカー・ワイルドさんの絶頂期に発表された作品で、ミケランジェロのダビデ像を想わせる完璧な構造を持ち、さらには皮肉とユーモアまで加わって、完成度のとても高い作品だと思います。

小さな嘘が誤解を生み、2本の糸がそれぞれ単独で絡まり、更にはお互いに絡まりもっとぐちゃぐちゃになって、これはもう収拾がつかない、終わった・・・

と思いきや、たった一つのきっかけでぐちゃぐちゃの糸が一気に解けてハッピーエンディング。しかも、解決の仕方に強引さは感じず、綺麗に感じるところがお見事。オスカー・ワイルドさんは一流のアーティストであると同時に、一流のエンターテイナーだなと思いました。

オスカー・ワイルドさんの作品は全てを読んだわけではないので、まだ断言はできませんが、最高傑作という評価がされても特に反論する気持ちはわいてきません。

言い切るのは全作品を読破してからにしようと思いますが、現時点では「最高傑作である可能性が高い」と思いました。

バンベリーとは?

Bunbury:人名、動詞

  • アルジャーノンが作った、田舎に住む架空の友人。
  • 都会の人付き合いが怠くて逃げたいとき、頻繁に体調を崩す設定にしているバンベリーのお見舞いに行く。
  • 人名だけどGoogleみたいに動詞としても使える。

Bunburyingによる都会と田舎の二重生活は軽めの秘密。ドリアン・グレイの重い秘密と比べると何と平和なのでしょう。『真面目が肝心』の気軽に楽しめるところが好きです。

アルジャーノンは途中でバンベリーを死んだことにするのですが、その死因には笑わせてもらいました。

アーネストとは?

Earnest:真面目、Seriousと同義語

Ernest:人名、Earnestと発音ほぼ同じ

※Idle:Earnestの対義語、oasisの『The Importance of Being Idle』は本作『真面目が肝心The Importance of Being Earnest』を逆にしたもの。

ヴィクトリア朝社会への風刺

『真面目が肝心』(1895年初演)は、ヴィクトリア朝(1837年から1901年)時代の作品で、当時の社会の伝統や慣習を風刺したコメディーでした。

ヴィクトリア朝ではEarnestness(真面目さ)が最も重視されたらしく、『真面目が肝心』が風刺であるならば、タイトルの意味は真逆に解釈する必要がありそうです。つまり、真面目であることは重要ではないとか、真面目ぶっている人々への嘲笑とか。

主要キャラのアルジャーノンとジャックは、表向きは真面目な振りをしていますが、裏ではバンベリーしていますし、ジャックがアーネスト(Ernest≒Earnest 真面目)という名前を装っているのも、要は嘘をついているわけですし、この辺の設定は社会への風刺をユーモアとアイロニーで表現していると思われます。

結婚の儀式や手続きに異常に拘る様を滑稽に描いていることも、風刺と解釈できると思います。

また、本作には食べ物について、以下の記載があります。

Algernon: I hate people who are not serious about meals. It is so shallow of them.
アルジャーノン:私は食べ物に無頓着な人々が嫌いだ。彼らはとても浅はかだ。

アルジャーノンは「キュウリのサンドウィッチが好き」「マフィンが好き」「ティーケーキは嫌い」という設定にされています。

キュウリはイギリスの気候では栽培しにくいらしく、ゲストにキュウリのサンドウィッチを提供することは、ある種の財力アピールなり見栄を張ることだったそうです。

また、「マフィン好き」「ティーケーキ嫌い」という拘りのせいで他人をイラつかせる様は、読者としてはつい笑ってしまい、本作のコメディー要素を楽しめる好きなシーンです。

『真面目が肝心』が当時のイギリス社会を皮肉っているのは事実なのでしょうけれど、本作の神髄はあくまでもコメディーであって、風刺面を最優先に解釈するのは作品の楽しみを減じてしまうように思いました。

風刺はあくまでもスパイスで、本作の本質はエンターテイメント。これを第一に、あまり難しいことを考えず、楽しむのが一番良いのかなと思いました。

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