ガルシア=マルケス『百年の孤独』のあらすじ・感想・考察

ガルシア=マルケス『百年の孤独』のあらすじ・感想・考察 コロンビア

『百年の孤独』とは?

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新潮社

『百年の孤独』はコロンビアの小説家ガルシア=マルケスさんの長編小説です。

本作は世界文学史上における最高傑作の1冊として知られ、作者のノーベル文学賞受賞にも決定的な役割を果たしたと思われます。

百年に一作の傑作だとか、各方面からの絶賛はとどまることを知らない一方で、難解な作品としても有名で、興味はあるけど難しそう、少し読んでみたけど自分には合わなくて読むのを止めた、という人も少なくないかもしれません。

個人的には大好きな作品です。2024年の文庫本発売で盛り上がっているこの機会に、あらすじ、感想・考察を整理してみました。

『百年の孤独』のあらすじ

『百年の孤独』はコロンビアの架空の町マコンドに住むブエンディア一族100年の物語です。

物語は族長ホセ・アルカディオ・ブエンディアと妻ウルスラ・イグアランの2人から始まります。両者は血縁関係にあるだけでなく、両家は何百年間も交配を重ねてきました。その過程で、豚のしっぽを持った子供が生まれたこともあり、ウルスラはその再現を恐れてセックスを拒みます。

村人たちはホセ・アルカディオの性的不能を噂し、彼はそれを馬鹿にしてきたプルデンシオ・アギラルを殺してしまいます。プルデンシオはその後何度も幽霊として物語に再登場します。

プルデンシオへのやましさから、ホセ・アルカディオとウルスラは新たな住処を求め仲間とともに旅に出ます。その途上で、ホセ・アルカディオは鏡の壁でできた家の夢をみて、そこにマコンドを創設します。

マコンドにはメルキアデスを始めとするジプシー達が文明の利器を持ち込むようになり、村は発展していきます。その中でも氷は特に重要な意味を持ち、ホセ・アルカディオは氷を鏡の壁の家と結び付け、子供のアウレリャノ・ブエンディアは初めて氷を見た日をその後何度も思い出します。

やがてメルキアデスも死にますが、彼もまた幽霊として何度も再登場します。メルキアデスは羊皮紙に何かを書き残します。第4世代のアルカディオ・セグンドはこの羊皮紙の解読に没頭し、第7世代のアウレリャノ・バビロニアはついにその解読に成功します。はたして羊皮紙には何が書かれていたのか?

各世代のエピソードは省略しましたが、男性はアルカディオとアウレリャノ、女性はウルスラとアマランタという名前が繰り返し使われ、物語は螺旋的な構成をとります。そして、不正選挙、内戦、ストライキ、バナナ会社による労働者の大量虐殺など、コロンビアや南米の歴史を思わせるリアリズムと、幽霊、空飛ぶ絨毯、生者の昇天、五年弱続く雨と十年の旱魃など、シュールリアリズムが混然一体となり、現実と幻想の境界が曖昧になったまま、ブエンディア一族100年の物語は幕を閉じます。

『百年の孤独』の感想・考察

英語版と日本語版、それぞれの感想

2015年に『百年の孤独』英語版を読んだときの感想が発掘されたので、まずはそれから。

「100年分の名前、時間、生死が入り乱れて最後は停電のように突然終了。そこに実態はなく蜃気楼のような残像だけが残った。蜃気楼の町ってそういうこと?書くという行為でこんな体験を設計できるなんて凄すぎる…と絶句した。

今まで読んできた小説の内容は殆ど覚えてない。その瞬間を味わって、すぐ忘れて、でも最終的には何か知らんけど凄かったという感覚が残る。内容を暗記する為には読んでない。小説を読むとはそういうことのような気がした。『百年の孤独』はその最たる例であり、それに気づかせてくれた記念碑的作品。

『百年の孤独』は難解だった。英語力不足は否定しないけど主因は内容だったと思う。そしてサンスクリット語と暗号で書かれた羊皮紙を解読するところが、解像度の下がる英語版を解読している自分と重なった。マコンドは蜃気楼の町だし、解像度が低い方が没入できるという例外かも?」

2024年、日本語文庫本を読んだときの感想は、以下のとおりでした。

「日本語版+読み解き支援キットのお陰で英語版より解像度高く読めて大満足。一方、解像度の低い英語版で感じた蜃気楼感はダウン。理解度↑衝撃度↓という反比例は何?本作の本質がここにあるのかも?この違和感は掘り下げる価値がありそう。」

この違和感について、まだ明確な答えは出せていないのですが、次の作者の言葉をヒントに掘り下げて行きたいと思います。

衝撃的だった作者の言葉

ぼくが驚くのは(中略)この本を出版したあと、ぼく自身が見つけた四十二の矛盾のどれひとつについても、また、イタリア語の翻訳者から教示されたが、誠実ではないだろうと思うので再販でも翻訳でも訂正しなかった、六つの重大な誤りについても、誰ひとり指摘する者がいなかったということだ。

これは訳者あとがきで引用されている作者の言葉なのですが、けっこう衝撃的な発言ではないでしょうか。

四十二の矛盾と六つの重大な誤りがあるなら、物語を正確に理解すること自体がほぼ不可能ですし、『百年の孤独』を絶賛している世界中の人々全員がこれらの問題を解決しているとも考えにくいです。さらに言うと、作者がこれを放置している=読者が正確に理解することは望んでいないとも考えられると思います。

物語が螺旋的な構造をとり、異なる登場人物に同じ名前が繰り返し使われていることは、読者を混乱に陥れます。読者に物語を正確に理解してほしかったら、そんなことしないわけで、

それはつまり、読者が混乱した状態こそ作者の狙いであり、『百年の孤独』は細かな内容を理解することよりも、全体の世界観を感じることが重要である、と考えられないでしょうか?

それでは、『百年の孤独』の全体の世界観の中で重要なものは何か?

私からは次の3つを挙げておきます。

『百年の孤独』の重要な3つの要素

物語が螺旋構造をとる

『百年の孤独』の時間軸は、最初は現在とマコンド前史が混在して混乱しますが、全体としては通常の「線形」と言ってよいと思います。

ただし、登場人物たちの言動や物語の内容を鑑みると「螺旋的」の方が正確な表現かもしれません。

以降、p〇は文庫本のページ数を表しています。

●ウルスラの言動

  • p305「時間がひと回りして、始めに戻ったような気がするよ」
  • p452ウルスラ「堂々めぐりをしているようなもんだね」
  • p496ウルスラ、長男のホセ・アルカディオと神学校のホセ・アルカディオ、アウレリャノ大佐とアウレリャノ少年を取り違える。

●登場人物の名前

  • 男性はアルカディオとアウレリャノ、女性はウルスラとアマランタ、これらの名前が繰り返し使われる。

●繰り返される行為

  • p478「アウレリャノ・ブエンディア大佐の魚の金細工、アマランタのボタン付けと死装束、ホセ・アルカディア・セグンドの羊皮紙、ウルスラの思い出ばなしなどと同じで、夫もまた、一度すませたものをまた最初からやりなおす、あの悪い癖に染まったのではないかと心配した。」

ちなみに、英語版オーディブルの朗読時間は、1章あたり約40分(合計20章)でした。螺旋の1巻きが約40分で統一されていると考えると、幾何学的な構造も美しく、作者の緻密さが伺えます。

受け継がれる記憶と呪い

アウレリャノ・セグンドは、彼だということがすぐにわかった。あの世襲財産的な思い出は代々ひき継がれて、祖父の脳裏から伝わっていたのだ。(p290)

記憶については、上記のとおり、代々受け継がれている設定になっています。

呪いについても、豚のしっぽの子供や、ブエンディア一族の誰一人としてハッピーにならないことから、受け継がれている設定になっていると思われます。

これらのことが重要だと感じたのは、以下の2つの台詞がきっかけでした。

  • p387ウルスラ・イグアラン「ちくしょう!」
  • p616アマランタ・ウルスラ「ほんとにいやね」

日本語版では違う台詞ですが、英語版ではどちらも「Shit」だったので、ここでピンときたんです。

両者ともに名前にウルスラを含み、台詞は「Shit」で共通。前述の螺旋構造とも関係しますが、一族に受け継がれる記憶と呪いとして、作者は意図的にやっているんじゃないか?

原文のスペイン語版を調べたところ、ウルスラ・イグアランの「ちくしょう」は「carajo」、アマランタ・ウルスラの「ほんとにいやね」は「mierda」となっており、完全一致はしませんでしたが、どちらも似た意味の言葉のようです。

ちなみに、スペイン語版をキンドル内検索したところ、Carajoは4件、Miérdaは14件ヒットしました。『百年の孤独』は全20章なので、18回/20章の頻度で、各登場人物がこの汚い言葉を繰り返し使用していることになります。作者はブエンディア一族の呪われている運命を、これらの言葉の繰り返しで表現しているのかも?

ご参考までに、Carajoの4か所について、スペイン語、日本語、英語の3言語並列で、以下に列挙してみました。翻訳の難しさを感じるとともに、新たな発見もあり、個人的にはとても面白かったです(スペイン語は読めないのですが、思い切って買って良かったですw)。

スペイン語:—¡Carajo! —gritó—. Macondo está rodeado de agua por todas partes.
日本語:「なんだ!」彼は叫んだ。「マコンドは、海に囲まれているのか!」(p26、ホセ・アルカディオ・ブエンディア)
英語:“God damn it!” he shouted. “Macondo is surrounded by water on all sides.”

スペイン語:—Vete al carajo —le gritó José Arcadio Buendía—. Cuantas veces regreses volveré a matarte.
日本語:「とっとと消えろ!」と、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは大きな声でどなった。「ここへ戻ってくるたびに、何度でも息の根をとめてやるぞ!」(p40、ホセ・アルカディオ・ブエンディア)
英語:“You go to hell,” José Arcadio Buendía shouted at him. “Just as many times as you come back, I’ll kill you again.”

スペイン語:«¡Ah, carajo! —alcanzó a pensar—, se me olvidó decir que si nacía mujer le pusieran Remedios.»
日本語:「しまった!」今ごろになって彼は思いついた。「女が生まれたら、レメディオスとつけるように言っておくんだった」。(p189、アルカディオ[若き暴君])
英語:“Oh, God damn it!” he managed to think. “I forgot to say that if it was a girl they should name her Remedios.”

スペイン語:—¡Carajo! —gritó.
日本語:「ちくしょう!」思わず大きな声が出ていた。(p387、ウルスラ)
英語:“Shit!” she shouted.

私が『百年の孤独』の中で一番好きな台詞、ウルスラ・イグアランの「ちくしょう!」は、スペイン語だと「Carajo」で、後続の「grito(叫ぶ)」まで含めて夫ホセ・アルカディオ・ブエンディアの「なんだ!」のところと同じだったことには驚きました。

ブエンディア一族の始祖2人の叫びを、全く同じ言葉で書くなんて、作者はわざとやってますよね?

※素人が口出しして恐縮ですが、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの「なんだ!」は、ウルスラ・イグアランと同じ「ちくしょう!」で統一した方がよかったのでは?

地理から見た南米の呪い

人間は地理の囚人であり、南米が欧米のように発展できないことは、呪われた運命として決定づけられていると言えるかもしれません(詳しくは『Prisoners of Geography』参照↑)。

例えば、人類がアフリカで誕生したなら、先行者利益を活かしてアフリカが世界最先進国でもよさそうなのに、なぜそうなっていないのか?アメリカはたった200年の歴史しかない後発組なのに、なぜ世界最強国家になれたのか?

いずれも地理が大いに影響しているからで、残念ながら、南米の地理は発展には向いていないようです。アルゼンチンだけは例外で、地理的に恵まれており、20世紀初頭は世界で最も豊かな国だったそうですが、南米全体としてみれば、地理的に呪われていると概括されてしまうのだと思います。

作者は南米の地理までは考えていないかもしれませんが、ブエンディア一族への呪いから、地理的な呪いも想起せずにはいられませんでした。

※念のため、南米やアフリカをdisっているわけではありません。地理的な不公平に対し、世界全体で富をどう再分配するかという問題なのだと思いますが、現実的には難しいんでしょうね・・・

ラテンアメリカの創世記であり黙示録

p642訳者あとがき「ラテンアメリカの創世記であり黙示録」は、本作を簡潔に要約している素晴らしい名言だと思いました。

まず「創世記」ですが、英語版Wikipediaによると、作者は『百年の孤独』を書くにあたり、祖父母の存在から大きな影響を受けており、祖父は千日戦争に参加したそうです(本作中の自由党vs保守党の内戦に対応)。

また、文庫本訳者あとがきには「祖母は幼い彼(作者)に、様々な奇怪な昔話を語ってくれた(p639)」とあります。

再び英語版Wikipediaを見ると、ジプシーの到来、千日戦争、労働者によるストライキとバナナ会社による虐殺などは、コロンビアの歴史と対応しているようです。その他のエピソードも含め、同じ又は似たことが、コロンビア以外の南米の国でもあったのだと思います。

総論としては「細かな内容を理解することよりも、全体の世界観を感じることが重要」だとは思いますが、コロンビアの作家がその歴史を題材にしている以上、この点は例外的に重要だと思いました。

次に「黙示録」ですが、ブエンディア一族の誰一人としてハッピーにならず、物語自体もバッエンディングになることは「黙示録」的だと思います。

特に、ウルスラ・イグアランの台詞、「ちくしょう!(p387)」は重要なヒントになりました。

この台詞、日本語版では普通に読んでしまったのですが、英語版オーディブルでは「Shiiiiiiiiiit!」と強調されていて、とても強く印象に残ったんです。

そして、アマランタ・ウルスラ「ほんとにいやね(p616、英語版はshit)」のところで、「ちくしょう!(p387、英語版はshit)」を思い出し、最後の一行(p625)へ。

私には、最終行の後、ウルスラのこの叫びが、もう一度聞こえたような気がしました。

文学は人をからかうために作られた最良のおもちゃである

以上、『百年の孤独』は、これらの3つが重要であり、逆に言うと、これら以外は、登場人物たちがいつどこで何をしようが、あまり重要なことではないんじゃないかと、個人的には思ってしまいます(そんなこと言ったら怒られてしまいますか?w)。

「文学は人をからかうために作られた最良のおもちゃである」とは、p583にあるアルバロの発言ですが、作者はけっこう本気で書いているのかもしれません。

私たちは読書というと、どこか無意識のうちに、内容を理解しなければならない、と思い込んでいないでしょうか?そんな姿勢を作者はからかっているのかも?

細かい内容を理解しなくても読書は楽しめる。読書の器は私たちが思っているよりずっと大きい。『百年の孤独』からそんなことを教わったような気がします。

前述の「理解度↑衝撃度↓」の話に戻ります。

初めて英語版で『百年の孤独』を読んだときは、本作自体が初体験だったことに英語力不足も加わり、日本語版ほどの解像度では読めませんでした。でも、その分、細かいことは気にせず、物語の全体の世界観を味わい、楽しんだ。その結果、読後に蜃気楼の残像のようなものが残り、そのことが衝撃で、いまだかつてない読書体験になったのかもしれません。

一方、今回日本語版と読み解き支援キットで解像度高く読んだ結果、細部に気をとられ、全体を感じることがおろそかになってしまっていたのかもしれません。

なんだか後付けの理由のような気もしますが、現時点ではそう思ったので、それをそのまま書いておきます。

その他の感想・考察

以下、いろいろと感想・考察を書きましたが、あまり意味はないと思っています(理由は前述のとおり)。

ただ、せっかく読んで、気づいた/感じたことがあったので、それらをつらつらとメモ的に書いただけですw

それでもよければ、どうぞご覧ください。

孤独:SolitudeとLoneliness

ガルシア=マルケス『百年の孤独』感想・考察_Solitude, Loneliness

日本語の「孤独」は「Solitude」と「Loneliness」を区別しないですが、イメージとしては「Loneliness」の方が強いのかなと思います。

英語版は「Solitude」の方を採用しているので、『百年の孤独』を読むうえで、この点は意識してもよいかもしれません。

ガルシア=マルケス『百年の孤独』感想・考察_Solitude, Loneliness, Soledad

なお、スペイン語も日本語と同じく「孤独」は「Soledad」で、「Solitude」と「Loneliness」を区別しないようです。

個人的に、『百年の孤独』の「Solitude」感は、トルコ出身のノーベル文学賞作家、オルハン・パムクさんが持つ2つの想い、才能の欠如(『My Name is Red』)と田舎での人生(『Snow』)のうち、後者、つまり、自分が生まれ、育ち、今も住んでいる場所が、世界の田舎で、誰からも見向きもされないこと、に似ているように感じました。

SushiGPT
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最初は「鏡の町」最後は「蜃気楼の町」

『百年の孤独』の舞台である架空の町マコンドは、よく「蜃気楼の町」と呼ばれますが、それは一面に過ぎず、実際は「鏡の町」から「蜃気楼の町」へと変化しています。

その晩、ホセ・アルカディオ・ブエンディアは鏡の壁をめぐらせた家が立ちならぶにぎやかな町が、この場所に建っている夢をみた。ここは何という町かと尋ねると、マコンドという(略)p43

この鏡の(すなわち蜃気楼の)町は(略)p625

日本語の「鏡」と「蜃気楼」は全然違う言葉ですが、英語だと「Mirror」と「Mirage」で似ています。スペイン語も英語と同タイプでした。

ガルシア=マルケス『百年の孤独』感想・考察_Mirror, Mirage

作者がどういう意図で書いているかはわからないですが、ある種の言葉遊び的な面もあるのかもしれません。

「鏡」と「蜃気楼」の共通点は、どちらも光を屈折させるものであり、この点は作者が意図したことかも?

仮に、欧米をリアリズム、南米をシュールリアリズムとすると、リアリズムでは光は屈折せず直進するけれど、シュールリアリズムでは光が屈折してしまうということかも?

『グレート・ギャツビー』の「Careful」と「Careless」
ご参考までに、『グレート・ギャツビー』では、登場人物を形容する表現として「Careful(注意深い)」と「Careless(不注意な)」の2単語が使われています。careまでの綴りが同じなので、この軸に沿って登場人物を分類しやすいです。こういうことは、言語の構造上、アルファベットを使う言語ならではなのでしょうね。

グレート・ギャツビー:あらすじ、原書で読んだ感想・考察(スコット・フィッツジェラルド3rd長編)
『グレート・ギャツビー』は、1925年に発売されたスコット・フィッツジェラルドさんの3rd長編です。アメリカ文学史上のみならず、世界文学史上においても超名作に列され、スコット・フィッツジェラルドさんの地位を不動のものとしました(発売当時は売れませんでしたが…)。

長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思いだしたに違いない。p9

これは『百年の孤独』の一行目です。「氷」という名詞は、小説にとって最も重要と言っても過言ではない一行目で登場し、その後も何度も使われます。

ホセ・アルカディオ・ブエンディアは、氷と鏡の家の町を結び付けるので、氷は「鏡」そして「蜃気楼」と接続していると思われます。

光を屈折させるものとしては、氷も「鏡」「蜃気楼」と共通点があります。

一方、氷は溶けるものなので、「鏡(実在)」→「蜃気楼(幻想)」という変化とも対応しているのかもしれません。

黄色

『百年の孤独』では、黄色い花、黄色い蛾、黄色い汽車など、黄色が繰り返し使われています。

ただの偶然なら明らかに確率がおかしいわけで、作者はどんな意味を込めているのでしょう?

黄色い花はホセ・アルカディオ・ブエンディアが死んだときに空から降ってきて、黄色い蛾は不幸なことになるマウリシオ・バビロニアと関連付けて用いられています。

汽車については、以下の記述から、ポジティブとネガティブ両方の意味がありそうです。

そして、予定より八カ月も遅れてやっとこの町へ到着した花いっぱいの汽車が、夢中になっている連中の目に飛び込んだ。多くの不安や安堵を、喜びごとや不幸を、変化や災厄や昔を懐かしむ気分などをマコンドに運びこむことになる、無心の、黄色い汽車が。P346

でも、だからと言って、なぜ黄色なのか?

個人的には、バナナの色と対応しているのかなと推測しました。

アメリカ資本のバナナ会社が南米に進出してきて、労働者が搾取され、ストライキを起こすも、大量虐殺されてしまうことは、実際にあった事件で、『百年の孤独』はこれを採用しているようです(英語版Wikipedia)。

幽霊

『百年の孤独』の特徴のひとつとして、死者が幽霊として何度も再登場することが挙げられると思います。

幽霊と言えば祟りとか呪いだと思うので、ブエンディア一族の不幸な運命と具現化するためのツールとして、幽霊は使われているのかもしれません。

また、プルデンシオが傷口を洗うシーンは、欧米に侵略され、傷つけられた南米を比喩的に表現しているのかも?(プルデンシオを殺してしまうホセ・アルカディオ・ブエンディアは、新しいもの好きなので、あの事件の時は欧米的立ち位置の人間となっている?)。

魚の金細工と動物の飴細工

作中、アウレリャノ・ブエンディア大佐は「魚の金細工」を、ウルスラ・イグアランは「動物の飴細工」を作ります(英語版ではそれぞれgold fishes, candy animals)。

「〇の〇細工」という構造が対応関係にある気がして、作者が何かの意味を込めているのかも?と考えてみました。わかりやすそうなところから順番に行きます。

動物:作中、家畜(動物)がシュールなほどに繁殖しているシーンがあるので、そこは動物の飴細工と対応しているのかも?子供を産むのは女性なので、動物の担当はウルスラ・イグアラン。

飴:飴は甘いものなので、セックスの快楽と対応しているのかも?

飴細工:ビジネスの繁盛を、一族の繁栄と重ねているのかも?

金:金は不変の物質なので(だから価値の保存に使われる)、作品の堂々巡り感=不変感と対応しているのかも?先進的な欧米に対し後進的な南米という状況での、コンプレックス、それを解決する手段としての金欲を表しているのかも?当時の南米は特に、男性は仕事、女性は出産という役割分担だったのかも?

魚:不明

マジックリアリズムとはシュールリアリズム

個人的に「マジックリアリズム」という用語がいまいちピンと来てなかったのですが、文庫本解説の筒井康隆さんが「シュールリアリズム」と表現していたのが、とてもわかりやすかったです(絵画も好きなので)。

以下に、シュールリアリズムの絵をいくつか選んでみました。

●サルバドール・ダリ『記憶の固執の崩壊』
サルバドール・ダリ『記憶の固執の崩壊』

●ジョアン・ミロ『耕作地』
ジョアン・ミロ『耕作地』

●マルク・シャガール『私と村』
マルク・シャガール『私と村』

●ルネ・マグリット『ゴルコンダ』
ルネ・マグリット『ゴルコンダ』

42の矛盾と6つの重大な誤り

前述の作者の言葉「42の矛盾と6つの重大な誤り」ってどこのことだろう?と意識して探してみましたが、全然見つけられませんでした(笑)

一応、ここかな?と思ったところが1つあるので、以下に書いておきます。

  • p422「(略)この世でもっとも愛した人間であるアウレリャノ・ブエンディア大佐の死にさいしても(略)」→アマランタが最も愛したのはピエトロ・クレスピでは?(大佐はアマランタの兄)
  • 他に見つけ次第随時追記予定。

印象に残った一行

「この世も終わりだよ。人間が一等車に乗り、書物が貨車にのせられるようになったら!」p601

現在は人類史上最高の時代なのかもしれませんが、それでも色々とおかしいなと感じることもあるかと思います。

そこで、書物が一等車に乗り、人間が貨車とまでは言わずとも二等車以降に乗る世界を想像してみました。

その世界では、人間は今よりも謙虚に学んでいるはずで、それはきっと今よりも良い世界なんじゃないかなと、この一行を読んで、そんなことを思いました。

他作品との関連

『百年の孤独』の中に、ガルシア=マルケスさんの他作品との関連をいくつか見つけたので、ここにメモしておきます。

  • 3章で登場する老婆と娘は『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語』
  • 兵士に年金が支払われないことは『大佐に手紙は来ない』
  • アウレリャノ大佐が感じる「絶大な権力にともなう孤独(p261)」は『族長の秋』
  • 他に見つけ次第随時追記予定
↑『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語』『大佐に手紙は来ない』を収録

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