グレート・ギャツビー:あらすじ、原書で読んだ感想・考察(スコット・フィッツジェラルド3rd長編)

グレート・ギャツビー_スコット・フィッツジェラルド アメリカ
スコット・フィッツジェラルドの全長編&短編集を原書で読んだ感想・考察
感想・考察の根拠には、スコット・フィッツジェラルドさんのエッセイや手紙、ヘミングウェイさんの視点、映画、ドラマなど、アクセスできるものを可能な限り利用しました。

この記事は↑のまとめ記事から切り出した詳細記事です。

『グレート・ギャツビー』とは?

“They’re a rotten crowd,” I shouted across the lawn. “You’re worth the whole damn bunch put together.”
「あいつら全員腐ってる」ボクは芝生越しに叫んだ「クズども全員を足して君1人と同じ価値だ(君はそれくらいグレートだ)」

『グレート・ギャツビー(The Great Gatsby)』は、1925年に発売されたスコット・フィッツジェラルドさんの3rd長編です。

アメリカ文学史上のみならず、世界文学史上においても超名作に列され、スコット・フィッツジェラルドさんの地位を不動のものとしました(発売当時は売れませんでしたが…)。

『グレート・ギャツビー』のあらすじ

西部からニューヨークにやって来た語り手ニックは、ある日、謎の隣人ギャツビーからパーティーに招待されます。ギャツビーは毎週末ド派手なパーティーを自宅の大豪邸で開いていて、ニューヨーク中にその噂を轟かせている男でした。

ギャツビーの目的は元カノのデイジーを誘い込み再会するためで、ニックはそのサポートを依頼されます(ギャツビーが戦争に行っている間に、デイジーは大富豪のトムと結婚してしまいました)。

再会を果たしたギャツビーとデイジーはかつてのように愛し合います。ギャツビーはデイジーに夫のトムと別れてほしいですが、デイジーはなかなか決断できません。

トムはギャツビーが気に入らず身元を調査。収入源に違法性を疑い、舌戦を仕掛けます。ここから物語はかつてない悲劇へ突入していきます。

『グレート・ギャツビー』の背景

スコット・フィッツジェラルドさんは1922年から3rd長編『グレート・ギャツビー』の執筆に着手します。

英語版Wikipediaを読むと、『グレート・ギャツビー』の登場人物もエピソードもほとんどは実在のモデルがあったらしく、例えばギャツビーは謎の隣人、贅沢なパーティー、酒?の密売、「オールド・スポート」という口癖まで、マックスという実在の人物がいたようです。

おそらくスコット・フィッツジェラルドさんは隣人のマックスさんから『トリマルキオの饗宴』を連想し、現代版『トリマルキオ』を書こうと思ったのでしょう。

『トリマルキオの饗宴』とは古代ローマの風刺小説『サテュリコン』に収録されているストーリーで、主人公のトリマルキオは驚くほどギャツビーに似ています(後述の「感想・考察」参照)。

実際、完成品『グレート・ギャツビー』の早期バージョンは『トリマルキオ(Trimalchio)』というタイトルで書かれていました。この『トリマルキオ』に対し編集者のコメントが入り、リライトされたものが現在の『グレート・ギャツビー』になります(後述の「感想・考察」参照)。

しかしこの渾身の自信作は批評家からの評価は高かったものの、セールスは振るわず、スコット・フィッツジェラルドさんは失望します。期待していたほどの収入も得られず、経済的な問題を解決することもできませんでした。

『グレート・ギャツビー』を原書で読んだ感想・考察

ジェイ・ギャツビーの名前が持つ意味とは?

ジェイ・ギャツビーの名前が持つ意味とは?

スコット・フィッツジェラルドさんはギャツビーにJay Gatsby(間抜けなギャツビー)というピエロ的な名前を与えています。

さらに、ギャツビーの車はサーカス馬車呼ばわりだし、明らかに西部のサンフランシスコを中西部と言わせたり。

”Come on, Daisy,” said Tom, pressing her with his hand toward Gatsby’s car. “I’ll take you in this circus wagon.”
「さあ、行こうぜ、デイジー」とトムは言って、手で押して彼女をギャツビーの車に乗せようとした。「このサーカス馬車で君を街まで連れて行こう」

”What part of the Middle West?” I inquired casually. “San Francisco.”
「中西部のどのへんなの?」と僕はさりげなく探りを入れてみた。「サンフランシスコ」

元ネタのトリマルキオは間抜けなキャラとして書かれており、ギャツビーも明らかに元ネタに寄せてピエロ的な役割が与えられています。

トムがロックフェラー似の男からマートルに買ってあげた犬は何故10ドルなのか?

“Here’s your money. Go and buy ten more dogs with it.”
トム「ほら金だ。これで10匹買え。」

“You’re worth the whole damn bunch put together.”
ニック「腐った奴ら全員が束になって君(ギャツビー)1人と同じ価値だ。」

犬1匹に10匹分の値段。ギャツビー1人で全員分の価値。これらのことから、犬はギャツビーと対応しているのだと思います。

犬の売り手をわざわざロックフェラー似としたのは、おそらく、大物風の男が犬を沢山飼っている→ウルフシャイムが子分(犬=ギャツビー)を沢山飼っていることと対応しているはず。

さらには、マートルの夫が家の引き出しから犬のリード紐を見つけて、妻の浮気を確信し、黄色い車から相手をギャツビーと誤解する展開。犬のリード紐がギャツビーへの手がかりになっていることからも、犬とギャツビーの対応は支持されると思います。

ウルフシャイムにとってギャツビーはリード紐で繋いでいる犬の1匹にすぎず、用がなくなればポイ捨てされる存在。(ほぼ100%違法ビジネスが疑われるけど)滅茶苦茶がんばって成り上がったギャツビーをこんな扱いにするなんて…スコット・フィッツジェラルドさんはなかなかエグいことをするなと思います…

さらに言うと
ギャツビーが戦争時にあらゆる同盟国から勲章を授与されたことや(第4章)、ギャツビーが巨大な衣装キャビネットに一通りのシャツをそろえていることも(第5章)、「ギャツビー1人で全員分=ギャツビーはグレート」であることの暗喩になっていると思います。

Carelessな人とCarefulな人

“You’re a rotten driver,” I protested. “Either you ought to be more careful, or you oughtn’t to drive at all.” 略 “It takes two to make an accident.” “Suppose you met somebody just as careless as yourself.” “I hope I never will,”
「君はまったくひどい運転をするんだな」と僕は苦情を言った。「もっと注意深くなるか、あるいは運転をまったくやめちゃうか、どっちかにした方がいい」略「要するに、誰かと誰かがぶつからなきゃ、事故なんて起きないわけでしょう」「じゃあもし君が、君と同じくらい不注意な人間に出くわしたとしたら、そのときはどうなるんだろう?」「私としちゃ、そういうことが起こらないことを願うのみね」

これはニックとジョーダンの会話で、「事故が起きるためにはcarelessな人間が2人必要(It takes two to make an accident)」は、『グレート・ギャツビー』を解釈するうえで重要な手掛かりになると私は考えています。

例えば、デイジーは(マートルに対して)自動車事故を起こしますが、上記の会話から、この2人はcarelessな人間であると解釈されます(実際、デイジーとトムについては、最終章でcarelessな人間と明記もされます)。

こんなセリフを言うジョーダンも当然carelessな人間なわけですが、では誰がcarefulな人間なのでしょうか?ギャツビーとニック?

ギャツビーはほぼ100%違法ビジネスをしてるので、いくらデイジーのためにがんばったとしてもcarelessな人間なんじゃないかと思いますが、作品名が『グレート・ギャツビー』なので、スコット・フィッツジェラルドさんはギャツビーをcareful側の人間に分類しているように思います。

ニックは自分はcarefulな人間であるかのように語っていますが、元々はバルブに群がる蛾のようにニューヨークにやって来たわけですし、carelessなジョーダンと仲良くしていることからもcarelessな人間だと思います。最終的に、ニックとジョーダンは別れることになるので、別れ=事故と考えると、ニックもcarelessな人間に分類できると思います。

ただし、ギャツビーとトムが大喧嘩をし、デイジーが事故を起こしてしまったあの日は、ニックの30歳の誕生日だったわけですが、あの日を境にニックはcarelessからcarefulに変わったと解釈できるかもしれません。スコット・フィッツジェラルドさんは、なぜあの日をニックの誕生日にしたのか?意味もなくそんなことをするとは考えにくく、きっとここに何らかの意味が込められていると思うのです。

They were careless people, Tom and Daisy—they smashed up things and creatures and then retreated back into their money or their vast carelessness, or whatever it was that kept them together, and let other people clean up the mess they had made….
トムとデイジー、彼らは思慮を欠いた人々なのだ。いろんなものごとや、いろんな人々をひっかきまわし、台無しにしておいて、あとは知らん顔をして奥に引っ込んでしまう - 彼らの金なり、測りがたい無思慮なり、あるいはどんなものかは知れないが、二人をひとつに結び付けている何かの中に。そして彼らがあとに残してきた混乱は、ほかの誰かに始末させるわけだ……

グレートギャツビーが下敷きにしている作品

『グレート・ギャツビー』はスコット・フィッツジェラルドさんの完全オリジナルではなく、元ネタがあります。

それは、ジョセフ・コンラッドさんの『闇の奥(Heart of Darkness)』とペトロニウスさんの『トリマルキオの饗宴』であり、それぞれ以下の記事にまとめました。

『闇の奥』と『グレート・ギャツビー』の共通点(ジョセフ・コンラッド、スコット・フィッツジェラルド)
『闇の奥(Heart of Darkness)』は、1902年に発表されたジョセフ・コンラッドの代表作です。スコット・フィッツジェラルドは『グレート・ギャツビー』(1925年)を書く際に『闇の奥』の構造や設定を利用します。
『トリマルキオの饗宴』と『グレート・ギャツビー』の共通点(ペトロニウス、スコット・フィッツジェラルド)
『トリマルキオの饗宴』は、ペトロニウスさんによる古代ローマ(1世紀頃)の小説『サテュリコン』の中の、1つのストーリーです。『トリマルキオの饗宴』は、『グレート・ギャツビー』の元ネタになっている作品でもあります。

グレート・ギャツビーが超名作な4つの理由

今回スコット・フィッツジェラルドさんを、特に『グレート・ギャツビー』を徹底的に解剖して、この作品を超名作たらしめている理由は以下の4つだと思いました。

1. 下敷きの存在(ちょっとずるい)

『グレート・ギャツビー』は古代ローマの名作『サテュリコン』内の『トリマルキオの饗宴』を下敷きにし、さらに当時の名作『闇の奥』の構成も真似て書いています。

つまり、既存の名作をベースにした時点である程度の質が保証された面があるように思います(おそらく、これは自身の実体験をベースに書いた前2作にはなかったこと)。

シェイクスピアさんも完全な独創じゃないし、ジェイムズ・ジョイスさんも『オデュッセイア』をベースに『ユリシーズ』を書いたりしているので、文学では普通にある換骨奪胎、パクりと責めるほどのことではないけれど、ちょっとずるい点は否めないと思います。

2. 悲劇と喜劇の二面性(多分まぐれ)

スコット・フィッツジェラルドさんは基本的にバッドエンディングの悲劇ばかりを書く作家で、その一方、トリマルキオは喜劇的なキャラなので、『トリマルキオの饗宴』を下敷きにした時点で、悲劇ベースの物語上で喜劇的なキャラが踊る構造になります。

この二面性が『グレート・ギャツビー』に大きな深みとエグさを与えて、魅力が爆増していると思います(前2作はただの悲劇で喜劇要素はありませんでした)。

でも個人的に、これは多分まぐれと疑っています。

隣人にトリマルキオみたいな人がいる→この人をモデルに現代版『トリマルキオの饗宴』を書いてみよう→結果的にいつもの悲劇の上で喜劇キャラが踊っていた。

※今までに、悲劇ベースの物語上で喜劇キャラを踊らせた作品ってあったのでしょうか?ないと言い切るのは難しいし、どこかにありそうな気もしますけど、もしなかったら、ここは『グレート・ギャツビー』の革新性と言えるかもしれません。

3. 英語の超絶技巧と天才的感性(実力)

スコット・フィッツジェラルドさんは英語の名人で、例えるならピアノやヴァイオリンの超絶技巧演奏家です。さらに、冒頭の父のアドバイスや末尾のボートの例えとか、他にも天才的感性としか言いようがない表現があります。短編やエッセイも含めこういうところは本当にすごいと思います。

前2作と比較して『グレート・ギャツビー』はこのレベルの表現の打率が明らかに高い。作家人生で最も乗っていた時期なのかもしれません。

4. 少ない文字数で濃密な内容(実力)

『グレート・ギャツビー』は長編にしては短く、作者の意図が節々に感じられる、中身の濃い作品です(中編と言った方が正確かもしれません)。無駄なところがないので、最後のバッドエンディングがダイレクトアタックとなり読者へのインパクトがエグいです。

このエグさは古代ギリシャ悲劇『オイディプス王』を彷彿とさせるレベルではないでしょうか?『グレート・ギャツビー』を構成する要素をこの文字数でまとめ上げたのは凄いと思います(前2作はダラダラ長くて1ページあたりの濃度が薄かった)。

個人的には、『グレート・ギャツビー』の比較的短いところが好きです。このサイズで、全体の構成、各章での展開、各場所とそこにいる各キャラの役割分担、数々の伏線と回収など、無駄な脂肪がないスリムボディ。前2作はダラダラ長く、読むのがつらかったです。

ちなみに、chatGPTにスコット・フィッツジェラルドさんの全長編5作の単語数を聞いてみると、以下のとおりでした。

  • 1st This Side of Paradise(楽園のこちら側):70,000
  • 2nd The Beautiful and Damned(美しく呪われた人たち):110,000
  • 3rd The Great Gatsby(グレート・ギャツビー):47,000
  • 4th Tender Is the Night(夜はやさし):94,000
  • 5th The Last Tycoon(ラスト・タイクーン):50,000
★結論

ちょっとずるいところや多分まぐれな部分もあるけれど、ちゃんと実力の部分もある。中でも3(英語の超絶技巧と天才的感性)は本物の実力だと思います。4(少ない文字数で濃密な内容)は前2作のように実体験ベースだと長くなり、『グレート・ギャツビー』のように実体験以外(『闇の奥』『トリマルキオの饗宴』)をベースにすると、無駄がなく短くなるっていう、作家の癖なのかもしれません。

映画 グレート・ギャツビー

2023年時点で『グレート・ギャツビー』は5回も映画化されており、それだけアメリカ人が大好きで、アメリカを象徴する作品であることを示していると思います。

映画は『2013年版』と『1974年版』が有名ですので、以下の記事ではこの2作を観た感想を整理しました。

映画グレート・ギャツビー2013年と1974年を観た感想・考察(レオナルド・ディカプリオ、ロバート・レッドフォード)
『グレート・ギャツビー』は5回も映画化されており、それだけアメリカ人が大好きで、アメリカを象徴する作品であることを示していると思います。 特に有名な『2013年版』と『1974年版』を観た感想・考察を整理しました。

次作4th長編『夜はやさし』の記事はこちら

夜はやさし:あらすじ、原書で読んだ感想・考察(スコット・フィッツジェラルド4th長編)
『夜はやさし(Tender Is the Night)』は、1934年に発表されたスコット・フィッツジェラルドさんの4th長編です。アメリカのバブルが弾け、妻ゼルダさんは統合失調症、自分はアル中、社会も私生活も崩壊中に書かれました。いつも通り、今作もバッドエンディングの悲劇です。

スコット・フィッツジェラルドさんのまとめ記事はこちら

スコット・フィッツジェラルドの全長編&短編集を原書で読んだ感想・考察
感想・考察の根拠には、スコット・フィッツジェラルドさんのエッセイや手紙、ヘミングウェイさんの視点、映画、ドラマなど、アクセスできるものを可能な限り利用しました。

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