『ダロウェイ夫人』とは?
『ダロウェイ夫人』はイギリスの小説家ヴァージニア・ウルフさんが1925年に発表した長編小説です。
本作は「意識の流れ(stream of consciousness)」という手法で書かれ、作者及びモダニズム文学の代表作として知られています。
「意識の流れ」とは、三人称の語りの中に登場人物の「意識」や「思考」などの「心の声」を挿入することで、時には台詞の鉤括弧さえないこともあります。
一般的な小説を期待していると本作との違いに驚き、それが凶と出た場合は楽しめなくなってしまうので、最初から新しいタイプの小説という意識を持って読むことをおすすめします。
『ダロウェイ夫人』のあらすじ
『ダロウェイ夫人』は50代の女性クラリッサ・ダロウェイのとある1日の物語です。
舞台は第一次世界大戦後のロンドン。クラリッサはこの日の夜にパーティーを主催することになっており、その準備を朝から始めます。
クラリッサは一日を過ごす中で、夫リチャード・ダロウェイとの結婚、かつての恋人ピーター・ウォルシュとの関係、若い頃にキスをしたこともある同性の友人サリー・シートンのことなどを振り返ります。ピーターとサリーはパーティーにも参加します。
クラリッサの一日と並行して、第一次世界大戦で心的外傷後ストレス障害(PTSD)を負った退役軍人セプティマス・ウォーレン・スミスの物語も描かれます。セプティマスの状態は次第に悪化し、著名な精神科医であるウィリアム・ブラッドショーの診察も受けますが、何も問題はないと判断され、症状の理解が得られません。
クラリッサとセプティマス、両者の視点を通し、戦後社会の複雑さや、個々のアイデンティティ、人生の選択に関わる問いなどが描かれていきます。物語は夜のパーティーでクライマックスを迎えます。
『ダロウェイ夫人』の感想・考察
瑞々しい世界観
クラリッサ・ダロウェイ(52歳)が醸し出す瑞々しい世界観に感動しました。人は誰しも体は老いていくけど、心はいつまでもこうありたいです。
本作の仮タイトルは『The Hours』だったそうで、作中で何度も鳴るビッグベンの鐘も印象に残りました。ちなみに、ビッグベンの鐘は15分ごとに小さな鐘、1時間ごとに大きな鐘が鳴るそうです。
ビッグベンの鐘の描写があるところでは「irrevocable(取り返しのつかない、呼び戻せない)」という単語がセットで使われていたり、繰り返し繋がりで言うと「fear no more(もう恐れるな)」というフレーズも何度も使われていて、これらは特に印象に残りました。
人生の時間は不可逆だけれど、クラリッサのように何歳になっても心は瑞々しく、今を楽しく生きていきたいものです。
※ヴァージニア・ウルフさんが『ダロウェイ夫人』を書いたのは40代前半の頃。
キュビズムの文学版
『ダロウェイ夫人』はクラリッサがパーティーを開く一日の物語でしたが、現在の出来事が少ない分、過去の回想が必要になり、その結果としてこのような作品になっているのだと思いました。
そして、クラリッサが人をthisとかthatとか一面で判断しないところが凄く良かったです。人は過去を含む多面体なわけで、まるでキュビズムの文学版。
個人的に、私は現在重視だったので、過去も大切にして良いのだと目から鱗が落ちました。
◯◯夫人って本当はおかしい
『ダロウェイ夫人』は男性目線のタイトルなので、これはおそらく作者からの問題提起なのだと思います。
作中、ダロウェイ夫人はずっとクラリッサと呼ばれていて、私の中ではクラリッサで定着していたのですが、読了後にふとタイトルを見ると『ダロウェイ夫人』となっていて、とても違和感がありました。
◯◯夫人って本当はおかしいですよね。
意識の流れ
「意識の流れ」という言葉は知っていたけど、その文体を実際に体験するのは今回が初めて。
三人称語りに一人称(登場人物の「意識」や「思考」などの「心の声」)が挿入される文体はとても新鮮でした。
正直、誰目線の語りか所々見失い、語り手や登場人物と一体化したような気分でした。
この文体は、最近読んだガルシア=マルケスさんの『族長の秋』に似てるなと思い調べたら、『ダロウェイ夫人』から大きな影響を受けているらしいです。
ちなみに、『ダロウェイ夫人』では、台詞に鉤括弧が有るときと無いときの両方がありました。台詞であるところはsaid, cried, repeatedなどXXedで明確化されていてわかりやすいですが、saidと書いてあるのに鉤括弧がない場合もありました。一方、『族長の秋』では、台詞に鉤括弧は全くありませんでした。
一日の物語
『ダロウェイ夫人』は1923年6月13日の一日を書いています。
一日の物語と言えばジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』が有名で、こちらは1904年6月16日のこと。
『ユリシーズ』は神話を元ネタにしているので、なんだか神々しかったり、深みがありそうな気もしますけど、あえて言えば、他力とも言え、少しずるいところもあると思います。
一方『ダロウェイ夫人』にそのような仕掛けはなく、それはつまり自力と言え、『ダロウェイ夫人』はこの部分に加点をしたいです。
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