『利休にたずねよ』とは?
『利休にたずねよ』は山本兼一さんによる歴史小説で、戦国時代~安土桃山時代に活躍した茶人・商人の千利休を主人公にした作品です。
本作は2006年から2008年にかけて月刊『歴史街道』で連載され、2008年に刊行、同年に直木賞受賞。2013年には市川海老蔵さん主演で映画化もされました。
美を司る絶対神、千利休vs俗世間の絶対権力者、豊臣秀吉。この構図自体は過去の作品を踏襲したもので、いわば定番の設定。
本作はそこからさらに進み、千利休の美学の謎にフィクションで一つの回答を示しました。
『利休にたずねよ』のあらすじ
『利休にたずねよ』は千利休切腹の日から始まり、時系列を逆に、現在から過去に向かって物語が進みます。
利休切腹の日の朝、妻の宗恩は利休に、他に恋しい女性がずっといたのでは?とたずねる
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侘びを好む千利休と、派手を好む豊臣秀吉の価値観の違いが説明され、天下人の豊臣秀吉が唯一勝てない相手、千利休を憎たらしく思い、切腹を命じる
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千利休の弟子たちが豊臣秀吉の怒りを治めようと奔走するが無駄に終わる
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徳川家康や石田三成の視点から利休vs秀吉の物語が進む
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西洋からの使者ヴァリニャーノの視点で、西洋と日本の文化、価値観の違いが浮き彫りにされる
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北野大茶会で秀吉と利休が茶の湯を楽しむ(この頃はまだ仲が良かった)
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豊臣秀吉が黄金の茶室を完成させる
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織田信長の名物狩り
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侘茶の師匠、武野紹鴎が、若き日の千利休を認める
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若き日の千利休が、高麗から来た女へ恋をする
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再び現在に戻り利休切腹
『利休にたずねよ』の感想・考察
『利休にたずねよ』の革新性
作者の山本兼一さんはインタビューで「利休好みの水指を見た時に匂い立つような優美さを感じ、わび・さびが持つ枯れたイメージや利休の人物像に疑問を持ったことが本作を執筆するきっかけになった」と語っていたそうです。
これをさらに発展させると、『利休にたずねよ』の革新性は、千利休の美学の謎にフィクションで一つの回答を示したことだと私は思っています。
簡単に言うと、なぜ千利休はたかが一杯の茶にこだわるのか?
もう少し補足すると、なぜ千利休の茶は、一期一会を尊ぶ侘び茶なのか?なぜ千利休の茶室は狭いのか?「侘び」茶にもかかわらず、なぜ千利休の茶には色気があるのか?
千利休は侘び茶を完成させた茶人で、侘びとは一瞬の美しさのこと、つまり、侘び茶とは一期一会を大切にするもの。
しかし、一期一会は言うは易し行うは難し。人間どこかで気が緩むもの。たかが一杯の茶ならなおさら。
でも千利休にはそれができる。それはなぜなのか?それに付随して、なぜ小さい茶室にこだわるのか?なぜ「侘び」の中に色気があるのか?
作者の山本兼一さんは、高麗の女をフィクションで創り出し、この謎に一つの回答を提出。
あの日、女に茶を飲ませた。
あれからだ、利休の茶の道が、寂とした異界に通じてしまったのは。
茶の地味なイメージがセクシーなものへと大転換。私は第一章にあるこの二行にやられてしまいました。
高麗の女と何があったかはネタバレになるので自粛します。
時間軸を逆に、現在から過去に遡る構成にした理由
時系列を逆にした構成は、別に奇をてらったものではなく、論理的かつ必然の結果だと思います。
その理由は、本書は千利休の美学の謎に迫る作品なので、時系列に過去から未来に進むと、物語の序盤でネタバレになってしまうからです。
本書が扱う謎を作品のクライマックスに設置するためには、時間を逆回転させ、現在から過去に時間を遡る必要がある。
時間の向きに賛否はあるのかもしれませんが、この論理的必然性を理由に個人的には支持したいです。
白居易の詩:槿花一日の栄
松樹千年終是朽 槿花一日自為栄(白居易の詩)
松樹は千年生きるがやがて朽ちる、槿花は一日だが自ら栄華を咲き誇る
※解釈として、松樹と槿花のどちらが優れているとかは言っていないようです
『利休にたずねよ』では木槿(むくげ)の花が象徴的な役割を担い、白居易の詩が引用されます。
木槿の花は朝に咲き、夕方には枯れてしまう一日花(いちにちばな)。ここに千利休の侘び茶が大切にする一期一会を重ねたのは、上手いと思います。
最小の茶室、待庵
茶の湯が始まった室町時代後期、書院の茶は広々としていたそうですが、侘び茶の千利休の師匠、武野紹鴎は四畳半まで茶室を狭めます。
四畳半でも十分狭いと思いますが、千利休はこれを二畳まで縮小。そんな待庵は、千利休の美学が究極まで表現された茶室として知られています。
なぜ千利休は茶室をそこまで小さくしたのか?なかなか理解し難く、豊臣秀吉が嫌ったのもごもっともな話だと思います。
ネタバレを避けるためこれ以上は自粛しますが、この謎に注目しフィクションで一つの答えを与えた作者の山本兼一さんはブラボーだと思います。
登場人物ごとの視点が面白い
『利休にたずねよ』は各章ごとに登場人物の視点が変わるため、歴史上の人物達のキャラクターが掴みやすいです。
千利休、豊臣秀吉、徳川家康、石田三成、織田信長、古田織部、山上宗二など、フィクションと言えばそれまでですが、歴史上の人物たちに新たな命が吹き込まれ躍動する様は、フィクションならではの面白さ。
この時代の人物に興味がある人は、この点も楽しめると思います。
千利休関連の勉強メモ
千利休とは?名前の意味は?
千利休は戦国時代~安土桃山時代にかけて活躍した茶人・商人で、現在では千家茶道の祖、侘び茶の大成者、茶聖として知られる人物です。
「利休」という名前は天皇から与えられた居士号のことで(居士[こじ]:学徳がありながら官に仕えず民間にある人)、
「鋭利を休めよ」「利心、休せよ(才能におぼれずに「老古錐(使い古して先の丸くなった錐)」の境地を目指せ)」などの意味で解釈されているようです。
千利休はその鋭すぎる美学ゆえに豊臣秀吉との対立を招き、最後には切腹を命じられてしまうわけですが、その鋭利は休まることがなかったようです。
茶人という地味なイメージとは真逆で面白いですね。
侘び寂びとは?
侘びとは一瞬の美しさのこと。寂びとは経年変化に伴い美が加わること。
千利休の茶は一期一会を大切にする侘び茶。そして、その侘び茶を象徴するのは花。茶室、茶道具、花入などは自分で自由にデザインできるけど花だけは自由になりません。
花を上手く活けることができる場合のみ、花を切ることは正当化され、上手く活けれなかった場合、茶人は花を切ったことを恥じます。
千利休の師匠
千利休は北向道陳と武野紹鴎の二人から茶を学びました。
2人の特徴は下記のとおりです。
北向道陳:伝統的な茶、書院の茶(室町風、華美、派手)、唐物
武野紹鴎:最先端の茶、侘び茶、和物
千利休は、伝統的な茶と最先端の茶を両方学んだうえで、自分独自の茶を生み出しました。
侘びの真髄を表現した和歌と俳句
侘びは茶道で最も重視される美意識かつ究極の理想とされます(千利休の茶が侘び茶だから)。
その侘び茶は村田珠光が始め、「冷えさび」や「ひえかるる(冷え枯れる)」という心情のスタイルは草庵茶と呼ばれました。書院造りから草庵へ、唐物から和物へ、新たな潮流の誕生です。
武野紹鴎
武野紹鴎はそれを発展させ(茶室を四畳半へと縮める等)、藤原定家の和歌に侘びの真髄があるとしました。
見渡せば 花も紅葉も 無かりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ
武野紹鴎にとっての侘びとは、カラフルな花や葉が枯れた後の秋の夕暮れで、次には寒い冬が控えていました。
千利休
千利休は師匠の武野紹鴎に対し、藤原家隆の和歌を引用し侘びの真髄を表現しました。
花をのみ 待つらむ人に 山里の 雪間の草の 春をみせばや
千利休にとっての侘びとは、冬の終わりから春の始まりにかけて見られる花や葉の息吹であって、満開の花だけがすばらしいわけではない、という美学でした。
小堀遠州
千利休以後の大茶人、小堀遠州は次の俳句に茶の真髄があるとしました。
夕月夜 海すこしある 木の間かな
村田珠光から始まった侘び茶ですが、武野紹鴎、千利休、小堀遠州、それぞれ茶のスタイルが違うのは面白いですね。
和敬清寂
和敬清寂は千利休が定めた茶道の心得として知られていますが、確かな資料は見つかっていないそうです。
とは言え、その内容は大切なことを言っていると思うので、資料の有無にかかわらず、ここにメモしたいと思います。
和:和を以て貴しと為し
敬:相手を敬い
清:茶室も心も清らかに
寂:何が起きても動じない、そのためにしっかり準備
利休七則
「茶の湯で大切なことはなんですか?」と弟子に聞かれた時、利休はこのように答えたそうです。
- 茶は服のよきように点て
- 炭は湯の沸くように置き
- 花は野にあるように
- 夏は涼しく冬暖かに
- 刻限は早めに
- 降らずとも雨の用意
- 相客に心せよ
茶の湯三巨人の茶室を比較
千利休:待庵
特徴:黒、狭い、暗い、自然/無作為、静
古田織部:八窓庵
特徴:カラフル、広い、明るい、作為、動
小堀遠州:忘筌席
特徴:白、伝統、バランス、奇麗寂び
千利休は錬金術師
千利休は茶人として知られていますが、商人としての一面も忘れてはいけません。
千利休には絶対的な審美眼があり、千利休が良いと言ったものが名物となり、それが高値で取引されました。まるで錬金術のようです。
豊臣秀吉が千利休に言いがかりをつけ切腹を命じた理由の一つが、この錬金術に対してだったと言われています。
このエピソードから、千利休が神格化され、茶の湯が宗教のような力を持っていたことが想像されます。
「割れておりますゆえに、献上いたしかねます」と、断りの口実にするためだったが、打ち欠いてみれば、さらに利休好みのすがたになっていた。完璧すぎる様式美より、不完全な美をいちだん崇高なものとして賞賛したがるのは、村田珠光以来、もの数寄な侘び茶人の癖である。
これは千利休お気に入りの石灯籠で、豊臣秀吉に取られたくないから自ら割ったという逸話で知られているものです。
そう聞かされると、なんだか凄い石灯籠に見えてくる・・・まあ、何を好きになって、いくらの値段をつけるかは個人の自由なので、別に千利休は悪くないと思いますけどね。
豊臣秀吉は天下人でしたが、精神的には千利休に負けていたというエピソードだと思います。
千利休は日本のキリスト
千利休は北野大茶会や黄金の茶室などで豊臣秀吉と一緒に大きくて豪華な茶の湯も経験しましたが、死ぬ前の十年は侘び茶に傾倒します。
名物道具ありきの茶から、茶ありきの道具へと、価値の大逆転。侘び茶なら名物道具を持たない庶民でもできる。茶の本質は道具の値段とは無関係のはず。
千利休は最後まで豊臣秀吉に屈せず、侘び茶に殉死。死ぬことで神となり、名物道具を持たない庶民を救済。千利休は茶道という宗教のキリスト。
千利休が豊臣秀吉に屈していたら、日本人の価値観は違っていたかも?派手なもの、大きなものを好んでいたかも?そんな世界線、私は嫌です。
私は無宗教ですが、あえて言うなら、宗教は茶道、神は千利休です。
千利休関連の本
茶道太閤記、海音寺潮五郎
千利休のイメージをただの茶頭から美を司る絶対的権威へと初めて大転換した記念碑的作品。ここが分岐点。
俗世間の絶対的権力者「豊臣秀吉」と芸術界の神「千利休」の対比という構図は、『秀吉と利休』や『利休にたずねよ』など後続の作品に踏襲されて行く。
秀吉と利休、野上彌生子
千利休のイメージ形成に決定的な役割を果たした作品。想像で書くしかない歴史上の人物を文句のない説得力で書き上げた。
この記事は以上です。
『利休にたずねよ』は私が小説好きになるきっかけになった作品でもあるので、作品の魅力が少しでも伝えられたらうれしいですし、まだ未読の方には少しでも興味を持ってもらえたらうれしいです。最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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