この記事は↑のまとめ記事から切り出した詳細記事です。
エッセイ『マイ・ロスト・シティー』『ある作家の夕刻』とは?
『マイ・ロスト・シティー(My Lost City & Other Autobiographical Essays)』は、1940年に44歳で亡くなったスコット・フィッツジェラルドさんのエッセイ集です。
(収録作品は1920年代のバブルが弾け、自信作の3rd長編『グレート・ギャツビー』も売れず、失意の1930年代に発表されたもの[『My Generation』のみ発表年不明])
『ある作家の夕刻』は、この『マイ・ロスト・シティー』内に収録されている『ある作家の午後(Afternoon of an Author)』を元に、村上春樹さんが翻訳したエッセイ及び短編集のタイトルとして『ある作家の夕刻』と変更したものと思われます。
『マイ・ロスト・シティー』に収録されているエッセイのほとんどは、この『ある作家の夕刻』に収録されています。
スコット・フィッツジェラルドさんのエッセイの中でも、『マイ・ロスト・シティー』は作者や時代背景を理解するうえでとても重要な作品だと思いますし、
『ある作家の午後(Afternoon of an Author)』や『壊れる(The Crack-Up)』も作者の心境や状況を理解するうえでとても参考になる作品です。
どれも内容が暗いですが、それこそスコット・フィッツジェラルドさんという作家なのだと思います。
エッセイ『マイ・ロスト・シティー』『ある作家の夕刻』の日本語版
エッセイ集『マイ・ロスト・シティー』の日本語版を探すときは、これを見つけがちだと思いますが、先に紹介した英語版とは内容がまったく違うのでご注意ください。収録作品は以下のとおりです。
エッセイ(スコット・フィッツジェラルドさん):残り火(Lees Of Happiness)、氷の宮殿(Ice Palace)、哀しみの孔雀(Lo, The Poor Peacock)、失われた三時間(Three Hours Between Planes)、アルコールの中で(An Alcoholic Case)、マイ・ロスト・シティー(My Lost City)
エッセイ(村上春樹さん):フィッツジェラルド体験
インタビュー(マイケル・モクさん):F・スコット・フィッツジェラルド インタビュー
英語版の収録作品は以下のとおりです。
My Lost City, The Crack-Up, Pasting It Together, Handle with Care, Afternoon of an Author, Early Success, My Generation
英語版の収録作品は村上春樹さん訳のエッセイ及び短編集『ある作家の夕刻』に網羅されています(My Generationは除く)。本作は他の短編も多数収録されているので、個人的にはこちらの方がお得感がありおすすめ。収録作品は以下のとおりです。
短篇小説:異国の旅人、ひとの犯す過ち、クレイジー・サンデー、風の中の家族、ある作家の午後、アルコールに溺れて、フィネガンの借金、失われた十年
エッセイ:私の失われた都市(My Lost City)、壊れる(The Crack-Up)、貼り合わせる(Pasting It Together)、取り扱い注意(Handle with Care)、若き日の成功(Early Success)
エッセイ『マイ・ロスト・シティー』を原書で読んだ感想
以下、『マイ・ロスト・シティー』(『ある作家の午後』を含む)を原書(My Lost City & Other Autobiographical Essays)で読み、その中の4作品について感想を簡潔にまとめてみました。個人的なメモではありますが、何等か参考になれば幸いです。
My Lost City マイ・ロスト・シティー(1932年)
the city was not the endless succession of canyons(略)It had limits(略)New York was a city after all and not the universe.
NYは延々ビルが続く谷間ではない(略)限界がある(略)NYは全世界ではなくただの街で宇宙(この世界のすべて)ではない。
本作は村上春樹さん訳『グレート・ギャツビー』愛蔵版の付録でも引用されているエッセイです。
スコット・フィッツジェラルドさんは、1920年代のバブル崩壊後、新しくできたエンパイアステートビルの上から街を見て、ニューヨークの有限性に気づき、上記引用部分をこのエッセイに書きました。ニューヨークは無限の宇宙(世界のすべて)ではなくてただの街。バブルに永遠も無限もないことを象徴するエピソードです。
また、スコット・フィッツジェラルドさんはこのエッセイで、1920年代のバブルをhysteriaと書き、具体例として比較級を続けるところ(the parties were bigger パーティーはより大きく / the pace was faster ペースはより速く / the buildings were higher ビルはより高く / the morals were looser モラルはより緩く / the liquor was cheaper 酒はより安く)も印象的です。
スコット・フィッツジェラルドさんの成功はこのバブル期に蜃気楼のように現れては消えてしまいました。
The Crack-Up 壊れる(1936年)
Of course all life is a process of breaking down.
もちろん、人生は崩壊の過程である。
本作は、上記引用部分で始まります。冒頭からネガティブですし、Of course(もちろん)と決めつけているところは闇が深いと思います。
その後は、「崩壊を引き起こすblow(一撃、強打、ショック)には2種類あって、一つは外側から突然来る劇的なもの、もう一つは内側からじわじわ進行して手遅れになるまで気付けないもの」と続きます。
個人的には村上春樹さんっぽいなと思ったのですが、時系列を考えると村上春樹さんがスコット・フィッツジェラルドさんの影響を受けているのだと思います。
The test of a first-rate intelligence is the ability to hold two opposed ideas in the mind at the same time, and still retain the ability to function.
一流の知性と言えるかどうかは、相反する2つのアイデアを同時に持ちながら、その両方を機能させる能力のこと
また、よくスコット・フィッツジェラルドさんの名言として引用されるこれは、このエッセイに書かれているものです。この名言は村上春樹さんのデビュー作『風の歌を聴け』でも引用されています。
Handle With Care 取り扱い注意(1936年)
本エッセイからは、スコット・フィッツジェラルドさんの上流階級に対する嫌悪が感じられます。
スコット・フィッツジェラルドさんは中流階級出身で、大学時代に恋した上流階級の娘の父に”poor boys shouldn’t think of marrying rich girls.”と言われて失恋したり(英語版Wikipedia)、親の金で偉そうにしているけど自分では何も生み出せないお坊ちゃまに喧嘩を売ったり(妻ゼルダさんの人生を描いたアマゾンプライムドラマ(ゼルダ ~すべての始まり~)、事実かは不明)。
多分こういう経験が、3rd長編『グレート・ギャツビー』のトム(運が良いだけの上流階級)vsギャツビー(自力で成り上がってきた新興勢力)っていう対立構造の元ネタになっているんじゃないかと思います(個人の感想的な推測です)。
Afternoon of an Author ある作家の午後(1936年)
本エッセイは、4th長編『夜はやさし』(1935年)と5th長編『ラスト・タイクーン』(1940年)の間の、妻とも別居中の崩壊期に書かれました。
既に作家としてのキャリアの前半を終えている状況もafternoon(午後)にかかっているのだと思います。
本作の内容は、非生産的な一日を自虐的に書いたもの。午前中から執筆したけど何も書けず、気分を変える為に午後から街へ出る話です(ネタ探し込み)。
個人的に注目したいのは、昔才能がないと言われてその分必死に書いたというくだりと、才能のある作家を羨ましく思うくだりです。
スコット・フィッツジェラルドさんは実話ベースの作品が多いので、体験していないことを想像で書くことを才能と定義するなら、それで苦労したのかもしれません。
デビュー作からここまで順番に読んできて、ネタは妻ゼルダさん頼み、その他も実体験がほとんど、『グレート・ギャツビー』は『トリマルキオの饗宴』と『闇の奥』が下敷き、『グレート・ギャツビー』で前作、前々作より急に良くなったのはまぐれだからでは?と才能を疑ってしまったこともありましたが、ごめんなさい、最後まで読んで考えが変わりました。
スコット・フィッツジェラルドさんは才能のある作家だと思います。その体験の何処に注目して何を感じるか?その感性と言語化力は天才の部類だと思いますし(同じ体験をしても私には書けない)、才能の評価項目は複数あるはずなので、一つ苦手な項目がある=才能がない、ではないと思いました。
客観的に見れば才能あるんだけど、自分では才能ないと思って努力するのがスコット・フィッツジェラルドさんの良いところだと思いました。
以下は『夜はやさし』で自分と同じアル中の作家に言わせた台詞で、自分の気持ちを代弁させているのだと思います。
I don’t think I’ve got any real genius. But if I keep trying I may write a good book.
自分にほんとうの天才があるとは自分でも思わないんだ。しかし、努力を続ければ、いい作品が書けるかもしれない。
スコット・フィッツジェラルドさんのまとめ記事はこちら
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