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映画『グレート・ギャツビー』
『グレート・ギャツビー(The Great Gatsby)』は、1925年に発売されたスコット・フィッツジェラルドさんの3rd長編です。
2023年時点で『グレート・ギャツビー』は5回も映画化されており、それだけアメリカ人が大好きで、アメリカを象徴する作品であることを示していると思います。
この記事では、その中でも特に有名な『2013年版』と『1974年版』を観た感想・考察を整理しました。
映画『グレート・ギャツビー』の感想・考察
2013年:レオナルド・ディカプリオ主演版
完璧!最高!良かった点3選
ギャツビー役のレオナルド・ディカプリオさんがブラボーでした。ピエロ感、いかがわしさ、それでも頑張ってる感。ブチ切れシーンは髪の乱れまで完璧!
下記3つの引用は小説にないものですが、①②は『トリマルキオ(Trimalchio)』から、③はエッセイ『マイ・ロスト・シティー(My Lost City)』から(完全一致ではないけど)採用していて、原作にない台詞にも根拠があります。
①My life has got to be like this. It’s got to keep going up.
ボクの人生はこうならないといけない。上がり続けないといけない。
②“I thought for a while I had a lot of things, but the truth is I’m empty. I suppose that’s why I make things up about myself.”
ボクはしばらくの間は沢山の物を持っていると思っていた、でも真実は、ボクは空っぽだ。だからボクは自分自身をでっち上げている。
③But the restlessness of New York in 1927 approached hysteria. The parties were bigger, the pace was faster, the buildings were higher, the morals were looser and the liquor was cheaper.
1927年のニューヨークの落ち着きのなさはヒステリーに達していた。パーティーはより大きく、ペースはより速く、ビルはより高く、モラルはより緩く、酒はより安く。
●片腕か両腕か?
原文:He stretched out his arms toward the dark water in a curious way.
原文のarmsから、私は両腕をイメージしていたのですが、レオナルド・ディカプリオさんが伸ばしたのは片腕でした。個人的には片腕の方がリアリティーがあると思うので好きです。普段の生活で両腕を伸ばすことってあまりないと思うので。
保守的に行くなら両腕になるはずで、そうしておけば批判されることはなくて無難なはずですが、勇気をもって原文を逸脱した攻めの姿勢がすばらしいと思います。
※1974年版は手を伸ばさずに、片手を胸の前で握りしめています。様々な改変があってよいと思いますが、個人的には少なくとも片手は伸ばした方がいいんじゃないかと思いました。なぜなら原文にreach outと書いてあるので・・・。
●大声か囁き声か?
原文:“Can’t repeat the past?” he cried incredulously. “Why of course you can!”
原文の「cry」と「!」から、私は大声をイメージしていたのですが、レオナルド・ディカプリオさんは力を込めた囁き声でした。これはこれで迫力があって良かったと思います。声が小さいほど怖いということもありますからね。
監督のバズ・ラーマンさんや演じるレオナルド・ディカプリオさんはどう考えてこうしたんだろう?自分だったらどうする?とか考えるのは楽しいです。
※1974年版は大声でも、囁き声でもなく、普通の声が選択されています。これはどういう意図なんでしょう?原文に忠実に行くなら大声であるべきですし、原文から逸脱するなら大声に似た迫力は出した方がよく、その方法の一つは囁き声だと思うのですが、普通の声にすることでどんな効果を狙ったのかが疑問でした・・・
その他として、約2時間に収める為のシーンの取捨選択も違和感なかったです。
また、ギャツビーのプラザホテルでのブチ切れシーンと、ギャツビー邸のパーティーで客が言う下記の台詞は原作にないものですが、いずれも原作の世界観にマッチしていて違和感ないと思います。
・Mr. Gatsby doesn’t exist.
・Rich girls don’t marry poor boys.
(2つ目は、スコット・フィッツジェラルドさんが実際に言われた「”poor boys shouldn’t think of marrying rich girls.”」の短縮形と思われます)
その他、よく突っ込まれるところは音楽(1920年代当時にヒップホップはない、だからあの音楽はおかしい)でしょうか。音楽については、映画を購入すると観れる特典映像内で監督が語っているのを聞いて私は納得しました(有料特典なので、ここでは触れずにおきます)。
1974年:ロバート・レッドフォード主演版
全く良いと思わない、主な理由3選
申し訳ないですが、正直まったく良いと思いませんでした。頑張って良いところを見つけようと2回観たのですが、それでも無理でした。
悪口は言いたくない。でも嘘もつきたくない。なので、ここではダメと思う理由と代案を言葉に気をつけて整理してみます。私が未熟で不快な思いをさせてしまったらすみません。そのリスクを取りたくない方は、この記事はここで離脱していただけますと幸いです。
1974年版の気になるところは沢山ありますが、ここでは細かい点は割愛して、重要な点トップ3に絞って書いてみます。
なお前提として、映画は約2時間、小説の朗読は5時間以上なので、小説の全ては採用できず、カットせざるを得ない点は仕方ないですし、カット後のシーンを上手く繋げるために、小説にないシーンを創作して挿入することもあるでしょう。シーンの取捨選択や創作の内容に共感できないところもあったけど、そこは譲って受け入れます。それでもなお、次の3点はダメだと思いました。
Jay GatsbyのJayは「カケス(鳥)」「おしゃべり屋」「間抜け」という意味です。ギャツビーが黄色い車でニックをNYに連れて行くとき、ギャツビーは自分が怪しい者じゃないことをアピールしたくて、一方的に話まくります。ここはギャツビーのカケス感(おしゃべり屋)、間抜け感(ピエロ役)を示すシーンです。
He was never quite still; there was always a tapping foot somewhere or the impatient opening and closing of a hand.
彼はずっと落ち着きがなく、足をタップしたり(貧乏ゆすり?)、手を開いたり閉じたりしていた。
この原文に対して、1974年版のロバート・レッドフォードさんは普通の会話みたいに落ち着いて喋っています。これではギャツビーのカケス感、ピエロ感、作品の喜劇面が表現できません。以降もずっとロバート・レッドフォードさんは落ち着きがあって、かっこいい。
結果として1974年版はただの悲劇になっていて、作品の魅力を十分に引き出せていないと思いました。2013年版のレオナルド・ディカプリオさんのように、ここは早口で喋って、ギャツビーのピエロ感を出した方が良いと思います。
一番重要な主役がこれでは、作品は崩壊してしまいます。監督とロバート・レッドフォードさんはちゃんと原作を読んだのか?どのような理由であのような演技になったのか?何も考えず作品を適当に映像化して繋げただけと言われても仕方がないのではないでしょうか?
“They’re a rotten crowd,” I shouted across the lawn. “You’re worth the whole damn bunch put together.”
「あいつら全員腐ってる」ボクは芝生越しに叫んだ「クズども全員を足して君1人と同じ価値だ(君はそれくらいグレートだ)」
これはギャツビーがグレートであることを示す台詞で、作品名と関係があることから一番重要な台詞だと思います。1974年版は、このシーン以前にニックがギャツビーの過去(貧しい生まれから努力して成り上がってきた)を知るシーンがありません。ニックがギャツビーの過去を知らない状態で、なぜこの台詞が言えるのでしょう?
原作や2013年版のように、この台詞以前に、ニックがギャツビーの過去を知るシーンを示した方が良いと思います。時間が足りないのであれば脇役達に使った時間を減らせば良かったと思います。
約2時間に収める為のシーンの取捨選択に、違和感が拭えませんでした。何も考えず作品を適当に映像化して繋げただけと言われても仕方がないと思います。
ギャツビーとトムがプラザホテルで喧嘩した後、ニックは今日が誕生日で30歳になったことを思い出します。ここは30歳と関連する以下の記述と関係して初めて意味を持ちます。
I was thirty. Before me stretched the portentous, menacing road of a new decade.
ボクは30歳になった。ボクの前には不吉で恐ろしい新しい10年が伸びていた。
“I’m thirty,” I said. “I’m five years too old to lie to myself and call it honor.”
「ボクは30歳だ」「自分に嘘をついてそれを名誉と思うには5歳ほど歳をとりすぎている」
Thirty—the promise of a decade of loneliness, a thinning list of single men to know, a thinning brief-case of enthusiasm, thinning hair.
30歳—孤独な十年、独身男性のリストが薄くなり、熱意という名のブリーフケースが薄くなり、髪も薄くなることが約束されている。
しかし1974年版は上記の全てが不採用です。ただ誕生日だったことを思い出して、だから何なのでしょう?このシーンは単独では意味がなくて完全に浮いちゃっていました。
一つ目を採用した2013年版(二つ目と三つ目は時間の都合でカット?それは理解できます)のように、少なくともどれか一つは採用した方がよいと思います。作品の流れを考えず、小説内から適当にシーンをつまんで繋げただけと言われても仕方ないのではないでしょうか?
以上を主な理由として、私は1974年版はまったく良いと思いませんでした。
3rd長編『グレート・ギャツビー』の記事はこちら
スコット・フィッツジェラルドさんのまとめ記事はこちら
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