『ライ麦畑でつかまえて』は誤訳?
『ライ麦畑でつかまえて』は誤訳説は、以下の理由に由来すると思われます。
- 英語原文は『The Cather In The Rye』、つまりキャッチする側
- 和訳の『〜つかまえて』はキャッチされる側
たしかに、ここだけを見れば誤訳と考えられなくもないかも。
でも、プロの翻訳者がこんな初歩的なミスをするとも考えにくいわけで、何か深い意味がありそうです。
『ライ麦畑でつかまえて』は誤訳ではない!一流の翻訳!
結論から言うと、私は『ライ麦畑でつかまえて』は誤訳ではなく一流の翻訳だと思っていて、翻訳AIがどんなに進化しても、人間にしかできない、非常にクリエイティブな名訳として、絶賛したいです。
なぜなら、主人公のホールデンは「キャッチャーになりたい」と言いつつ、実際は「キャッチされる」側の人間だったというオチがあるからです。
そこでまずは、ホールデンが「キャッチャーになりたい」と言うシーンを読んでみましょう。
ここは、『The Catcher In The Rye(キャッチャーインザライ)』というタイトルの由来にもなっている重要なシーンです。
22章
“Anyway, I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody’s around–nobody big, I mean–except me. And I’m standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff–I mean if they’re running and they don’t look where they’re going I have to come out from somewhere and catch them. That’s all I’d do all day. I’d just be the catcher in the rye and all. I know it’s crazy, but that’s the only thing I’d really like to be. I know it’s crazy.”「とにかく、僕は子供たちが大きなライ麦畑で遊んでいるところを写真に取り続ける。何千人もの子供たち、ほかには誰もいない、大人はいない、僕以外は、って意味だけど。そして、僕は危険な崖の端に立っている。僕がやることは、崖から落ちそうになる子たちをつかまえること。ーーつまり、彼らが走っていて、その先の崖が見えていないとき、僕が出て行って、彼らをつかまえるんだ。僕はこれを1日中やる。僕はただライ麦畑のキャッチャーになりたい。狂った発想だってことはわかってる、でも僕が本当にやりたいのはこれだけだ。狂ってることはわかってる。」
キャッチする側とされる側。このシーンを文字どおりに受け取れば、『ライ麦畑でつかまえて』は誤訳と言えなくもないかもしれません。
でも、中学生でもわかる、そんな単純なことを、プロの翻訳家が間違えるとも考えにくい。
そんなことわかったうえで、あえて『ライ麦畑でつかまえて』と、キャッチされる側に翻訳しているはず。
私たち読者は、その意味を考えようじゃありませんか。
『ライ麦畑でつかまえて』は赤いハンチング帽子に注目
赤いハンチング帽子に注目
その謎を解く鍵は、本書の重要アイテム、赤いハンチング帽子にあると思います。
赤いハンチング帽子は、主人公のホールデンと、その妹フィービーの間を、行ったり来たり。
以下に関連シーンを抜粋しましたので、時系列にポイントを見ていきましょう。
ちなみに、なぜ「赤」なのか、なぜ「キャッチャー」なのかは、ホールデンの弟アリーと関係があります。
そこまで掘り下げたい方は、下記の登場人物紹介記事も参考にしてください。
赤いハンチング帽子を時系列に追う
- ホールデンが帽子を買い、後ろ向きにかぶる(3章)
- ホールデン → フィービー(23章)
- フィービー(25章)
- フィービー → ホールデン(25章)
- 一時的に、フィービー → ホールデン(25章)
ホールデンが帽子を買い、後ろ向きにかぶる(3章)
and then I put on this hat that I’d bought in New York that morning. It was this red hunting hat, with one of those very, very long peaks. 省略 It only cost me a buck. The way I wore it, I swung the old peak way around to the back–very corny, I’ll admit, but I liked it that way. I looked good in it that way.
そして僕は今朝ニューヨークで買った帽子をかぶった。それはこの赤いハンチング帽子だ、とてもとても長いタイプのツバがついている。省略 それはたったの1ドルだった。僕のかぶり方は、ツバを後ろ向きにする、とても田舎くさい、それは認める、でも僕はこのかぶり方が好きなんだ。僕にはこのかぶり方が似合う。
帽子のツバを後ろ向きにする=野球のキャッチャー=ライ麦畑のキャッチャーですね。
ホールデン → フィービー(23章)
Then I took my hunting hat out of my coat pocket and gave it to her.
それから僕は(赤い)ハンチング帽子をコートのポケットからとり、彼女(フィービー)にあげた。
本書の重要アイテム、赤いハンチング帽子の持ち主が変わるシーンです。
補足:崖から落ちているのはホールデン(24章)
“This fall I think you’re riding for–it’s a special kind of fall, a horrible kind. The man falling isn’t permitted to feel or hear himself hit bottom. He just keeps falling and falling.省略”
この落下は、私が思うに君が今乗っている落下は、特別な種類の落下、とてもおそろしい種類のものだ。落下している人は許されない、底に達したことを感じることも、その音を聞くことも。落下している人はただ落ち続ける。省略
これはアントリーニ先生がホールデンに言うセリフです。
子供たちが崖から落ちないようにキャッチャーになりたいと言いつつ、落ちていたのはホールデンだったことがわかります。
フィービー(25章)
Finally, I saw her. I saw her through the glass part of the door. The reason I saw her, she had my crazy hunting hat on–you could see that hat about ten miles away.
ついに彼女(フィービー)が見えた。僕は彼女をドアのガラス部分をとおして見た。彼女が見えた理由は、彼女があのクレイジーなハンチング帽子をかぶっていたからだ。 –あの帽子は10マイル先でも見える。
正義の味方登場!みたいに、キャッチャーが登場するシーンです。
フィービー → ホールデン(25章)
She wouldn’t answer me. All she did was, she took off my red hunting hat–the one I gave her–and practically chucked it right in my face. Then she turned her back on me again. It nearly killed me, but I didn’t say anything. I just picked it up and stuck it in my coat pocket.
彼女は返事をしなかった。彼女がしたのは、僕の赤いハンチング帽子をとり –僕があげたやつだ– 僕の顔にぽいっと放った。それから彼女は僕に背を向けた、再び。これには本当にまいった、でも僕は何も言わなかった。僕はただ帽子をとり、コートのポケットにしまった。
ここでホールデンに赤いハンチング帽子が戻ってきますが、ホールデンはそれをかぶりません。
もうキャッチャーは辞めたの?という疑問が浮かぶシーンです。
補足:ホールデン、キャッチャーを辞める(25章)
Then the carrousel started, 省略 All the kids kept trying to grab for the gold ring, and so was old Phoebe, and I was sort of afraid she’d fall off the goddam horse, but I didn’t say anything or do anything. The thing with kids is, if they want to grab the gold ring, you have to let them do it, and not say anything. If they fall off they fall off, but it’s bad if you say anything to them.
そして回転木馬が回りだした。省略 すべての子供達は金のリングをつかもうとしていて、オールド・フィービーもそうだった、僕は彼女が落ちるんじゃないかと不安になった、そのくそったれた馬から、でも僕は何も言わず、何もしなかった。子供については、もし彼らが金のリングをつかみたいなら、そうさせてあげるべきだし、何も言うべきじゃない。もし落ちたら、その時はその時、でもそれに口を出すのはよくないことだ。
子供たちが回転木馬から落ちそうになっているのに、ホールデンは落下を認める発言をします。
ホールデンは、完全にキャッチャー役ではなくなったことがわかるシーンです。
一時的に、フィービー → ホールデン(25章)
Then what she did–it damn near killed me–she reached in my coat pocket and took out my red hunting hat and put it on my head. “Don’t you want it?” I said. “You can wear it a while.”
それから彼女がしたことは、–僕は本当にやられてしまったんだけど– 彼女は僕のコートのポケットに手を伸ばし、僕の赤いハンチング帽子をとり、僕の頭にかぶせた。「ほしくないの?」僕は言った。「しばらく貸してあげる」
“Did you mean it what you said? You really aren’t going away anywhere? Are you really going home afterwards?” she asked me. “Yeah,” I said. I meant it, too. I wasn’t lying to her. I really did go home afterwards.
「さっき言ったの本気? 本当にどこにも行かない? 本当に家に帰る、この後?」彼女(フィービー)は僕に聞いた。「うん」僕は言った。僕は本気でそう言った。僕は彼女に嘘はつかなかった。僕は本当に家に帰った、その後。
ホールデンがキャッチされた重要なシーン。「キャッチャーになりたい」と言いつつ、実際はキャッチされる側だった、というオチですね。
補足:帽子は前向き?後ろ向き?
ところで、フィービーは赤いハンチング帽子を、前向き?、後ろ向き?、どちらの向きでホールデンの頭にかぶせたのでしょうか?
前後の向きの違いによって、
- 前向き:ホールデンはもうキャッチャー役じゃない
- 後向き:ホールデンはやっぱりキャッチャー役
とも考えられますよね。
私は以下の3点から、前向きに一票を入れたいです。
- 物語の流れ的に、すでにホールデンはキャッチャー役を辞めている
- 直前でホールデンはフィービーにキャッチされている
- 兄と妹という身長差から、前向きにかぶせるのが自然
「ライ麦畑のキャッチャーになりたい」と言いつつ、キャッチャーにはなれなかった。
逆に、崖から落下する側、キャッチされる側の人間だった。
池が凍って居場所を失うアヒルのように、居場所もなく街をさまようだけ。
誰か、堕ち続ける僕を、キャッチして。。。
一流の翻訳とは?『ライ麦畑でつかまえて』と成田空港
野崎孝訳『ライ麦畑でつかまえて』を心から尊敬
ここまで読んでいただければ、『The Catcher In The Rye』を『ライ麦畑でつかまえて』と訳すことは、非常に本質的な翻訳であることが、おわかりいただけたことと思います。
仮に、上記の解釈が間違っていたとしても、それでも、少なくとも、中学生がやるような、単純な誤訳でないことは明らかですよね。
翻訳者の野崎孝さんはプロの翻訳家なわけで、キャッチする側とされる側の解釈をミスして誤訳するなんてありえない。出版社の方々もチェックしているでしょうし。
すべてわかったうえで、批判を恐れて無難な直訳に逃げず、勇気を出して前に踏み込み、積極的な翻訳をした。
私はその勇気と積極的な翻訳を支持しますし、プロの翻訳者ってすごいなと、心から尊敬します。
成田空港にある一流の翻訳
これは成田空港に帰国したときに撮った写真で、私はここを通るときはいつも「この翻訳すばらしいな」と思います。
なぜなら、一流の翻訳には、筆者と読書の気持ちを想像し、時には原文の意味から逸脱する、勇気と創造性が必要で、これは機械にはできないことだと思うからです。
直訳は「ようこそ」だけど、日本語を読むのは日本人なわけで、日本人にとっては「おかえりなさい」ですもんね。
直訳に逃げず、本質は何かをしっかりと見極め、勇気を持って原文を逸脱する。
一流の翻訳とはこういうことだと思います。
ちなみに、私の仕事はメディカルライターで、英語⇄日本語の翻訳をすることもあります。
いつも悩むのが、直訳が不自然に感じるとき、思い切って意訳するか、ビビって直訳に逃げるか、なんです。
多少不自然でも、直訳しておけば、怒られることはないわけです。無難で、安全なんです。
逆に、良かれと思って意訳をすると、受け入れられる可能性もあるけど、怒られる可能性もある。わざわざそんなリスク取りたくない。無難に直訳しとこ、となるわけです。
私の翻訳はごく一部の関係者しか読みませんが、『キャッチャーインザライ(The Catcher In The Rye)』は世界文学史上の名作なわけで、その日本誤訳は、何十万人、下手したら100万人以上の人が読む可能性があるわけです。
そこまで社会的影響の大きい翻訳で、物語の本質をとらえ、キャッチする側とされる側を真逆に入れ換え、『ライ麦畑でつかまえて』と翻訳する。
その恐怖と勇気を想像すると、私は尊敬しかありません。
この記事は以上です。最後までお読みくださりありがとうございました!
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