美しく呪われた人たち:あらすじ、原書で読んだ感想・考察(スコット・フィッツジェラルド2nd長編)

美しく呪われた人たち_スコット・フィッツジェラルド アメリカ
スコット・フィッツジェラルドの全長編&短編集を原書で読んだ感想・考察
感想・考察の根拠には、スコット・フィッツジェラルドさんのエッセイや手紙、ヘミングウェイさんの視点、映画、ドラマなど、アクセスできるものを可能な限り利用しました。

この記事は↑のまとめ記事から切り出した詳細記事です。

『美しく呪われた人たち』とは?

Things are sweeter when they’re lost. I know—because once I wanted something and got it. It was the only thing I ever wanted badly, Dot. And when I got it, it turned to dust in my hands.
失ったものは美しい。欲しかったものを手に入れたからわかる。本当に欲しかったのはひとつだけだったよ、ドット(不倫相手の女性の名前)。でもつかみ取ったら手の中で灰と化した。

『美しく呪われた人たち(The Beautiful and Damned)』は、1922年に発表されたスコット・フィッツジェラルドさんの2nd長編です。

前作は時代を動かす衝撃がありましたが、小説としては問題があり批判もされました。

今作では改善が見られ完成度は上がりましたが、衝撃は失われてしまいました。

売上は引き続き好調だったそうです。

『美しく呪われた人たち』のあらすじ

主人公のアンソニーは富裕層の生まれ。働くのが嫌で祖父の遺産をあてにしています(両親と祖母は幼い頃に死亡)。絶世の美女グロリアも富裕層出身。破天荒なフラッパーで怠けていたいと思っています。

この2人が出会い結婚するとやりたい放題の豪遊が始まりますが、やがてお金がなくなり、働かざるを得なくなります。

アンソニーの放蕩生活を知った祖父は激怒し、援助を断ち切ります。アンソニーは戦争で徴兵され、キャンプ地でドロシーと不倫をします。

戦争後も仕事は上手く行きません。グロリアは老い、アンソニーはアルコール依存症。金もない。頼れる友人もいない。アンソニーとグロリア、selfishな者同士が、お互いをダメにしてしまいました。2人の未来は、祖父の遺産相続をめぐる裁判の結果に委ねられます。

『美しく呪われた人たち』の背景

妻ゼルダさんの人生を描いたドラマ(アマプラ)では、デビュー作の大ヒットで2作目への期待が高まる中、プレッシャーを紛らわすため酒に飲まれるスコット・フィッツジェラルドさんの姿が描かれています。

また、英語版Wikipediaによると、スコット・フィッツジェラルドさんは前作に引き続きゼルダさんの日記からパクっていたようで、『美しく呪われた人たち』発売後の雑誌のレビュー記事でゼルダさんは「plagiarism begins at home(盗作は家から始まる)」とコメントを寄せています。

ドラマとWikipediaをどこまで信頼していいかはわからないため断定は避けようと思いますが、諸々の状況から2作目へのプレッシャーがあったことや、盗作があった可能性は高いと推測しています。

なお、当時は5000部売れれば大ヒットという時代ながら、本作の発行部数は5万部まで達し、売り上げは引き続き好調だったようです(英語版Wikipedia)。

『美しく呪われた人たち』を原書で読んだ感想・考察

作者も満足していない作品

I wish the Beautiful and Damned had been a maturely written book because it was all true. We ruined ourselves – I have never honestly thought that we ruined each other.
『美しく呪われた人たち』がもっと良く書けた作品だったらなぁ。なぜならそれ(本作が言っていること)は全て真実だから。私達はお互いを滅ぼしてしまった。以前はそのように思ったことは決してなかったけど。

これは1930年にスコット・フィッツジェラルドさんから妻ゼルダさんに送られた手紙からの引用です。ここからスコット・フィッツジェラルドさんが『美しく呪われた人たち』の完成度に満足していないことがわかります。

これには個人的に同意するところがあり、最大の理由は本作の長さです。次作3rd長編『グレート・ギャツビー』を基準にすると、1st長編『楽園のこちら側』は2倍でかなり長かったですが、2nd長編『美しく呪われた人たち』は2.5倍とさらに長大化しています。

この長さは読んでいて正直辛かったです。もっと短くできたんじゃないか?この長さは本当に必要なのか?といった疑問が拭えません。

いつだって物事を悲劇的に見る人

Things are sweeter when they’re lost. I know—because once I wanted something and got it. It was the only thing I ever wanted badly. And when I got it, it turned to dust in my hands.
失ったものは美しい。欲しかったものを手に入れたからわかる。本当に欲しかったのはひとつだけだった。でもつかみ取ったら手の中で灰と化した。

妻ゼルダさんの人生を描いたドラマ(アマプラ)はこの引用で始まり「いつだって物事を悲劇的に見る人だった」とゼルダさんが回想します。

1st長編が悲劇だったのに続き、今作2nd長編も悲劇。さらには続く3rd長編、4th長編、5th長編もすべて悲劇。

スコット・フィッツジェラルドさんの作品にハッピーエンディングを期待してはいけません。必ずバッドエンディングになります。

その理由はおそらくスコット・フィッツジェラルドさんの実体験に由来していると思われます。

悪役が生き残る結末、そして次作へ

今作は主人公(悪役)が破滅寸前まで行くのですが、最後に運が味方して助かります。私はここが良いなと思いました。

いや、ダメなんですけど、現実は必ず正義が勝つわけでもないし、ハッピーエンディングばかりでも飽きるので。最終的には悪役が生き残るっていう展開が、次作3rd長編『グレート・ギャツビー』で更に洗練されることになります。

また、『美しく呪われた人たち』を書いているときに、妻ゼルダさんとの間に娘が生まれ、そのとき彼女が言った以下の言葉は次作『グレート・ギャツビー』でヒロインのデイジーの台詞として採用されることになります。

I hope it’s beautiful and a fool―a beautiful little fool.
意訳:女の生存戦略としては可愛いお馬鹿さんになるのが一番。

次作3rd長編『グレート・ギャツビー』の記事はこちら

グレート・ギャツビー:あらすじ、原書で読んだ感想・考察(スコット・フィッツジェラルド3rd長編)
『グレート・ギャツビー』は、1925年に発売されたスコット・フィッツジェラルドさんの3rd長編です。アメリカ文学史上のみならず、世界文学史上においても超名作に列され、スコット・フィッツジェラルドさんの地位を不動のものとしました(発売当時は売れませんでしたが…)。

スコット・フィッツジェラルドさんのまとめ記事はこちら

スコット・フィッツジェラルドの全長編&短編集を原書で読んだ感想・考察
感想・考察の根拠には、スコット・フィッツジェラルドさんのエッセイや手紙、ヘミングウェイさんの視点、映画、ドラマなど、アクセスできるものを可能な限り利用しました。

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