この記事は↑のまとめ記事から切り出した詳細記事です。
『ラスト・タイクーン』とは?
They were smiling at each other as if this was the beginning of the world.
2人は世界の創生かと思われるような微笑をかわしあった。
『ラストタイクーン(The Last Tycoon)』は、1941年に発表されたスコット・フィッツジェラルドさんの5th長編です。
崩壊期のエッセイ『壊れる(The Crack-Up)』(1936年)の後に書かれ、結果として最後かつ未完の長編となってしまいました。
自信作の3rd長編『グレート・ギャツビー』も4th長編『夜はやさし』もあまり売れませんでしたが、執念の作家スコット・フィッツジェラルドさんはあきらめません。
史上最高の小説を書く(そして愛する妻ゼルダさんと添い遂げる)という夢に向かい、本作『ラスト・タイクーン』を書きます。もうこれだけで胸熱です。
- 1937年:ハリウッドへ引越し脚本家になる
- 1940年:スコット44歳で死亡(アルコール中毒からくる心臓発作で死亡)
- 1941年:『ラスト・タイクーン』発売(友人/批評家/作家のエドマンド・ウィルソンが遺稿を整理して)
- 1948年:ゼルダ48歳で死亡(統合失調症で入院していた施設の火事で焼死)
『ラスト・タイクーン』のあらすじ
主人公のモンロー・スターはハリウッドの映画会社に勤める大物プロデューサー。イケメンで超有能。スターはトップ女優のミナと結婚していたが、彼女は既に亡くなっていた。
ミナのいない世界なんて…スターは仕事に没頭する。医師から過労を警告されるがスターは顧みない。命は風前の灯で余命は半年。死ぬ前に最高の映画を撮りたい。
しかしある日、ミナにそっくりのキャサリンがスターの前に現れる。スターはキャサリンにミナの面影を重ね恋に落ちていく。
セシリアはスターの同僚ブレーディの娘。セシリアはスターのことが好きだが、幼い頃からの付き合いで恋愛対象として見られていない。物語はこのセシリアの目線で語られる。
残念ながら未完となってしまったが、創作ノートの構想では、後半はスターとブレーディの権力争いが勃発。スターを会社から追い出そうとするブレーディの陰謀が動き出す。
『ラスト・タイクーン』の背景
『ラスト・タイクーン』は、執筆場所も作品の舞台も移民達の最後のフロンティア=ハリウッドです。
妻ゼルダさんは統合失調症で入院しており、二人は別居していました。当時の二人の手紙から、スコット・フィッツジェラルドさんはこれが最後の作品になる可能性を感じていたようです。
スコット・フィッツジェラルドさんは本作の特徴について、手紙の中で妻ゼルダさんに次のように書いています。
I’m digging it out of myself like uranium – one ounce to the cubic ton of rejected ideas.
私は今作をウラニウムのように自分から掘り出した。今作は1トンの案を却下して残った1オンスでできている。
It is a constructed novel like Gatsby, with passage of poetic prose when it fits the action, but no ruminations or sideshows like Tender. Everything must contribute to the dramatic movement.
今作は『グレート・ギャツビー』と同じく(緻密に)構築された小説で、(ここは上手く訳せませんでした)、『夜はやさし』のような反芻や余興はない。すべてが劇的な動きに貢献する小説にするつもりだ。
『ラスト・タイクーン』は3rd長編『グレート・ギャツビー』が好きな人には刺さる可能性が高いと思います。
『ラスト・タイクーン』を原書で読んだ感想・考察
まだ言い残していたこととは?
I don’t suppose anyone will be much interested in what I have to say this time and it may be the last novel I’ll ever write, but it must be done now because after fifty one is different. One can’t remember emotionally, I think except about childhood but I have a few more things left to say.
今作で書くことに、人々はあまり興味を持たないだろうし、私にとってこれが最後の作品になるかもしれないが、51歳?を超えたら人は変わってしまうので今書かなければならない。人は子供時代のことを除き、過去の感情を思い出すことができなくなる。でも、私には言い残していることがあと少しある。
スコット・フィッツジェラルドさんは妻ゼルダさんへの手紙でこのように書いています。言い残していること、今作で書きたかったこととはいったい何なのか?
個人的にここかな?と思ったことを以下にピックアップしてみました。
you can’t test the best way – except by doing it. So you just do it.
一番いい道を試すことはできないんだ – 実際にやってみない限りね。とにかくやる以外にないんだ。
Tout passe. L’art robuste Seul à l’éternité.
すべては過ぎ行く。逞しい芸術だけに永遠がある。
You do what you’re born to do.
生まれついたものをすべきです(仕事の話)。
これらは当たっているかもしれないし、外れていて他に正解があるかもしれません。
『ラスト・タイクーン』を読むときは、スコット・フィッツジェラルドさんが言い残したこととは何か?と意識して読むのも面白いと思います。
最高傑作?
一部では『ラスト・タイクーン』がスコット・フィッツジェラルドさんの最高傑作という声があるようですが、私は正直よくわかりませんでした。
その理由は本作は未完だからです。本作は構想約30エピソードのうち16で止まっています(しかもスコット・フィッツジェラルドさんはさらに修正予定)。この前半が後半とどう繋がるかがわからない。だからなんとも言えない。この状況で「最高傑作」と言いうのには無理があると思います。
創作ノートは必見
日本語版には付録に創作ノートが収録されていて、これがとてもおすすめです。
スコット・フィッツジェラルドさんの構想がとても緻密で驚くとともに感動しました。創作ノートを読まなければ『ラスト・タイクーン』を読んだことにはなりません(断言していいレベル)。
創作ノートを読んだ後、私は『ラスト・タイクーン』に、完成品の中の最高傑作『グレート・ギャツビー』と同じ匂いを感じました。
したがって、『ラスト・タイクーン』はスコット・フィッツジェラルドさんの「最高傑作になる可能性があった」と言うことはできると思います。
未完であることが本当に残念です。
さらに詳しく
The Love of the Last Tycoon
『The Last Tycoon(ラスト・タイクーン)』は友人/批評家/作家のエドマンド・ウィルソンさんが遺稿を整理し、1941年に出版されたものだった一方で、
『The Love of the Last Tycoon』はフィッツジェラルド学者のマシュー・ブロッコリさんが舞台用に編集し、1993年に出版されたものです。
両作品をワードで比較してみたところ、cosmeticな修正ばかりで内容に違いはないことが確認できました。
『Trimalchio』→『The Great Gatsby』では興味深い変更がありましたが、こちらにそれはないので、『The Last Tycoon』を読んでおけばOK、『The Love of the Last Tycoon』は気にしなくてよいと思います。
短編:Crazy Sunday 狂った日曜日/クレイジーサンデー
『ラスト・タイクーン』をさらに楽しみたい場合は、短編の『狂った日曜日/クレイジーサンデー(Crazy Sunday)』もおすすめです。理由は、こちらもハリウッドが舞台で『ラスト・タイクーン』の世界観を感じるのに役立つからです。
『狂った日曜日/クレイジーサンデー(Crazy Sunday)』は洋書なら↓に、
和書なら↓に収録されています。
アマゾンプライムドラマ:The Last Tycoon ラスト・タイクーン
小説版とは異なりドラマのオリジナルストーリーですが、登場人物や基本的な設定は同じなので、小説の世界観や一つの解釈として参考になります。
1st短編集『フラッパーと哲学者』の記事はこちら
スコット・フィッツジェラルドさんのまとめ記事はこちら
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