『ニューヨーク三部作』とは?
『ニューヨーク三部作』は、『ガラスの街(1985年)』『幽霊たち(1986年)』『鍵のかかった部屋(1986年)』を総称した、アメリカの小説家ポール・オースターさんの代表作の1つです。
正直、『ニューヨーク三部作』を読んだとき、何を言っているかわからなくて、混乱したのですが、デビュー作『孤独の発明』に遡ったら解決しました。
両作は同じことを別の形式で言っていて、『孤独の発明』はノンフィクション(回想録)、『ニューヨーク三部作』はフィクション(小説)という形式の違いがあるだけです。
『孤独の発明』と『ニューヨーク三部作』のどちらも読み終えた今、私としては以下のように要約しています。
Solitude invents ghosts who are friends in solitude.
(孤独がゴーストを発明する、そのゴーストは孤独なときに現れる友達)
※個人的な作文で、本文にこのような文はありません。
ゴーストは『孤独の発明』の英語版の表紙のトリック写真のように、自分を他者として三人称で語れる存在のこと。
どちらも自分であり他者でもある。どちらが誰か、自分が誰か、わからなくなる。
Q: Who are you?
A: I’m nobody.
『ニューヨーク三部作』の感想・考察
ガラスの街City of Glass
繰り返される構文
Most important of all 略 All I can say is this. Listen to me. My name is Paul Auster. That is not my real name.
『ガラスの街』では「My name is XXX. That is not my real name.」という構文が何度も繰り返されて印象に残るものの、その意味がわからずに困惑しました。
でもこれはデビュー作『孤独の発明』を読むことで解決。人間のアイデンティティーをあいまいにするために繰り返しているのだと思います。
『ガラスの街』には、偽名の作家、人違い、間違い電話、名前被り、イニシャル被り、そっくりさん、変装、主人公の名前はtwin(双子)と韻が合うなど、主人公のアイデンティティーを曖昧にする仕掛けがたくさん。
本作がミステリーの形式をとっていることにあまり意味はなくて、それよりも自分が誰かわからなくなるような仕掛けが沢山あることが重要なのだと思います(Who am I?という問いに迷い込むという意味では、ミステリー形式は必然とも言えるかもしれませんが)。
最後、主人公が退場して、筆者のポール・オースターさんと登場人物のポール・オースターの2人になって、主語がWeになったところはハッとさせられました。実際には主人公の方がメインのゴーストだと思いますが、Solitude(孤独)の中で友達ができたことを表現しているみたいで感動です。
ガラスは鏡のこと
タイトルの『ガラスの街 City of Glass』のガラスは、何のことを指しているのか?
私としては鏡のことを指しているように思いました。
本作の中で、他者の中に自分を見出したり、鏡に映った自分が他人に見えたりするシーンがありますし、本作の元ネタ『孤独の発明』の表紙のトリック写真は、鏡に囲まれた部屋でも同じように見えるでしょうし。
glassという英単語には「鏡」という意味もあるみたいです。
『ガラスの街』が発表された1986年当時のニューヨークの街中に、どれだけガラスや鏡があったかはわかりません。
『ガラスの街』誕生の背景をメモ
『ガラスの街』は、ポール・オースターさんの実体験から発展させた物語だそうです。
ポールさんは探偵事務所との間違い電話を2回受け、いずれも否定した後で後悔。もし探偵のふりをして案件を引き受けたら小説のよいネタになるだろうなと想像して3回目の電話を待っていたけれど、3回目はなかった。
本作は3回目の間違い電話をフィクションで創造し、物語が動き出します。間違い電話をした人は超絶ファインプレーですね(笑)👏
幽霊たち Ghosts
『幽霊たち』はブルー、ブラック、ホワイト、ブラウン、ゴールド、レッド、グリーン、グレイ、ヴァイオレットなど、登場人物の名前に色が割り当てられているところが特徴的な作品だと思いました。
名前が色なのは、デビュー作『孤独の発明』の後半で採用した、自分のことを他者として三人称で語ることのバリエーションのような気がします。
色の場合、ブルーという色を持つもの全てが登場人物のブルーに重ねれるようになる。なんとかブルー、ブルーなんとかも含めると登場人物ブルーのアイデンティティーはさらにぼやける。『孤独の発明』の表紙のトリック写真(前投稿)みたいにブルーが一つに定まらずに分裂していく。
ブラックは孤独とか、色と何らかのイメージも対応があるとは思いますが、それは一番重要なことではないと思います。色のイメージでさえも、その色のアイデンティティーを分裂させるための要素の一つでしかないと思うためです。
鍵のかかった部屋 The Locked Room
前二作と同じことを言っている作品だと思いました(デビュー作『孤独の発明』も合わせると前三作と同じ)。
前作『幽霊たち』は色という新規性がありましたが、本作にそれはありません。同じ内容を四作連続で読んで、正直「また同じか」と以前ほどワクワクできませんでした。時間をおいて単品で読んだらまた印象が変わるのかもしれません?
本作に感じた特徴としては、今までで一番、デビュー作『孤独の発明』で言っていた「Je est un autre(私とは他者である)」を明確に言い切っていたような気がします。
主人公がボコされて死んだと勘違いしたとき本体の外に出てゴーストになって死んだ自分を見たり。その状態を「euphoria(陶酔感)」と表現したり。主人公が追いかけていた重要な登場人物が名前で呼ばれるのを拒んだり。
次に『ニューヨーク三部作』を読むときは、以下で言われている「異なるステージ」を意識して読んでみたいです。
These three stories are finally the same story, but each one represents a different stage in my awareness of what it is about.
三作品は結局は同じストーリーで、それぞれの作品はそれ(ゴースト)について私が自覚した異なるステージを表している。
Solitude(孤独)のイメージ
Solitudeの和訳は「孤独」ですが、Lonelinessのような悪い意味はありません。
Solitudeのイメージはこの大谷翔平さんの写真がわかりやすいと思います。内省している姿がかっこいいです。このとき大谷さんにはゴーストが見えているのかも?
ニューヨークという街
ニューヨークは作中でforlorn(寂れた)abject(絶望的な)と表現されていることから、人を孤独にさせる街としての役割を与えられているように思います。
ニューヨーク、東京、北京、シンガポール、イスタンブール、ロンドン、モスクワなど、各都市にはそれぞれの個性があると思うのですが、ニューヨークの個性は何だろう?と考えました。
考えるヒントとして、『アレクサンドリア四重奏』の構文を思い出したので、以下に引用します。
Alexandria was the great winepress of love; those who emerged from it were the sick men, the solitaries, the prophets – I mean all who have been deeply wounded in their sex.
アレクサンドリアは愛をしぼり取る大圧搾器であり、そこから出てくるのは病人、孤独者 、預言者である – つまり、性に深い痛手を負う人たちすべてのことだ。
ニューヨークをこの構文に当てはめてみたら、以下のようになりました(笑)
New York is the great winepress of solitude; those who emerge from it are the ghosts in solitude.
ニューヨークは孤独をしぼり取る大圧搾器であり、そこから出てくるのは孤独が発明するゴーストである。
これはニューヨークに限らず、東京も含む大都市であれば、共感できるのかなと思います。人ごみの中で孤独を感じることもありますしね。
でもポール・オースターさんは孤独を悪いことと捉えていないように思います。LonelinessじゃなくてSolitudeですし。そこが作者の個性だったりするのでしょうか?(これから他の作品も読んでみます!)
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