本居宣長と『源氏物語』
本居宣長さん(1730-1801年)は商家に生まれ、医師として生計を立てながら、『古事記』や『源氏物語』などを研究した国学者です。
『源氏物語』と言えば「物のあはれ」と今日の私達が当たり前のように認識している説は、本居宣長さんが初めて提唱したものでした。その意味で、日本文学に与えた影響は計り知れない、偉大な国学者と言えると思います。
本居宣長さんの人柄については、小林秀雄さんが『本居宣長』でこう書いています。
宣長は(略)世に学問程面白きものはなし、と思い込み、初心を貫いた人である。
読書好きとしては共感しかなく好きな一行です。若さは衰えるけど、学問は積み上がっていくところも良いですよね。
本居宣長さんは、1)大好きな学問をするため、生活のため、医師として稼ぎ生活の基盤を作っていた。2)生涯に波乱はなく、質素な書斎で学問に勤しんだ。という点にも個人的には大いに共感します。
彼は、遺言書を認めると、その秋の半ばから、冬の初めにかけて、桜の歌ばかり、三百首も詠んでいる。
本居宣長さんは桜を愛した人でもあるらしく、小林秀雄さんの『本居宣長』の上記のエピソードがとても印象に残りました。こんな短期間に三百首はすごいですよね。短く咲いて散る桜のはかなさと、『源氏物語』の無常観の間に、何か関係があるのでしょうか?
「小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ(略)」
小林秀雄さんは『本居宣長』の冒頭で上記のように書いており、私はこの部分に興味を持ち、本居宣長さんの源氏物語関連本『紫文要領』と『源氏物語玉の小櫛』を購入しました。
「とにもかくにも人は、もののあはれを知る、これ肝要なり……」
これは小林秀雄さんの『本居宣長』の公式紹介文からの引用です。具体的な出典はまだ特定できていないのですが、残りの人生で「物のあはれ」を意識していきたい私としては、その重要性をリマインドしてくれる大切な言葉になっています。
『紫文要領』とは?
物の哀れをしる心という概念で愛読書『源氏物語』の意義を捕えた宣長。歌論『石上私淑言』とともに<物の哀れ>文学観の成立を示し、晩年の『源氏物語玉の小櫛』に先立つ最初の源氏物語論。(公式紹介文より)
『紫文要領』は源氏物語の解説書です。それまで儒教/仏教の概念で強引に解釈されていた『源氏物語』をその呪縛から解き放ち、「物のあはれ」論を初めて提唱した重要な作品です。
ただし、本作は本居宣長さんが34歳の頃の未定稿であり、本人的には出版する意図はなかったようです。本作を最終稿として仕上げたのが『源氏物語玉の小櫛』になります。
『源氏物語玉の小櫛』とは?
源氏物語を勧善懲悪や戒律の議論から解き放ち、その本質を「物のあわれ」であると捉えた歴史的評論。その後の日本文学に与えた影響は計り知れない。『紫文要領』の完成版。源氏物語の入門書としても秀逸。(公式紹介文より)
人のこころの感ずること、恋にまさるはなし/物語の「よきあしき」と儒仏の「善悪」との違い/物のあわれを知るとはどういう事か/物のあわれを知ると知らないとの微妙な違い/源氏物語は傑出した作品/学識をひけらかす事を嫌った紫式部/登場人物の多くが女々しい訳/他(帯より)
『源氏物語玉の小櫛』は『紫文要領』の最終稿です。本居宣長さん68歳のときに完成したらしく、34歳での未定稿『紫文要領』から約30年。本居宣長さん渾身の力作となっています。
小櫛とは髪を解き分ける櫛のこと。つまり、儒仏の概念で強引に解釈されていた『源氏物語』の、乱れ解き分ける櫛という意味がタイトルに込められています。
『源氏物語』は日本文学史上だけでなく世界文学史上においても重要な作品であり、その作品の解釈を正しく訂正した功績は偉大であり、「歴史的評論」「日本文学に与えた影響は計り知れない」という公式紹介文は決して大袈裟ではないと思います。
『紫文要領』の感想
両作の主張の違いに大きな違いはないらしく、私はそれを言い訳にまだ読めていません。
でも1-2年の間には読みたいと思っているので、そのときに本項をアップデートするようにします。
『源氏物語玉の小櫛』の感想
わかりやすく説得力がある
『源氏物語』の本質は「物のあはれ」であると初めて論じた本ということで、とても興味深く読みました。論理が明快でわかりやすく、根拠もしっかりしていて説得力があり、筆者の主張を違和感なく受け入れることができました。
また、源氏物語の入門書としても秀逸で、今までの自分の読み方は間違っていたなと反省もしました…(例えば、光君おじさんの悪口とか、紫の上を紫式部さんに勝手に重ねたりとか)。
これからはもっと、あはれな人/事、を意識して『源氏物語』を読みたい。儒教/仏教的な善悪を思考の補助線にすること。その善悪と物のあはれの「よきあしき」は同じこともあれば違うこともある。この2つが一致しないところにこそ、物のあはれの、つまり源氏物語の本質があるのかもしれません。
物語とは物のあはれを語ること?
中国語のstoryは故事、taleは传(伝)なので、物語は中国語の輸入ではなく日本独自の言葉なのでしょうか?
あはれの語源は「ああ」「はれ」という嘆息の声。「ああはれ」から「あっぱれ」になったことから、哀しいことだけじゃなく良いことも含む。
紫式部さんは『源氏物語』の第25帖『蛍』で物語論を展開していて、そこから物語と「物のあはれ」が繋がるかもしれないので以下に引用します。
よいことも悪いことも、この世に生きる人の、見ているだけでは満足できず、聞くだけでもすませられないできごとの、後の世にも伝えたいあれこれを胸にしまっておけずに語りおいたのが、物語のはじまりだ。(角田光代さん訳『源氏物語』4巻)
物語の定義が物や事を語ることだとして、でもそこに「あはれ」と作者や読者の心を動かすものがなければ、表面的には物語に分類されても、本質的には物語ではないのかもしれないな、なんてことを思いました。
物語という言葉はいつどのように誕生したんだろう?物語とは物のあはれを語ったものと解釈すると、物語という言葉が素敵に思えてきます。
有識者に否定されたとしても、勝手にこう思っていたいな。サンタさんがいないのは事実だけど、いると信じた方が幸せになれるなら信じるのは自由なのと同じで(笑)
「とにもかくにも人は、もののあはれを知る、これ肝要なり……(本居宣長さん)」
物のあはれを知るとは「ああ」「はれ」と心が動くこと。自分のことだけじゃなく、他人の喜怒哀楽にも共感して心が動くこと。心が動かなくなったら人間終わり。
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