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ジョセフ・コンラッドの『闇の奥』とは?
『闇の奥(Heart of Darkness)』は、1902年に発表されたジョセフ・コンラッドさんの長編小説、代表作です。
ジョゼフ・コンラッドさんはイギリスの小説家で、英国船員だったときのアフリカ、コンゴ川での経験を元に、西洋植民地主義の闇を書きました。
『闇の奥』は文学史上に残る名作であり、当然スコット・フィッツジェラルドさんも読んでいた作品です。
スコット・フィッツジェラルドさんはそれだけにとどまらず、自身の3rd長編『グレート・ギャツビー』(1925年)を書く際に『闇の奥』の構造や設定を利用しました。
『グレート・ギャツビー』は『闇の奥』のパクり?
His novels were pastiches of the work of the best people of his time, a feat not to be disparaged, and in addition he possessed a gift for softening and debasing what he borrowed, so that many readers were charmed by the ease with which they could follow him.
彼の小説は同時代の一流作家の作品を焼きなおしたもので、その芸当は黙視することを許さないものがあった。おまけに、彼は借りてきた材料をたくみにやわらげ、こなれやすくする才能に恵まれていたので、多くの読者には肩をこらさずについてゆけるという魅力があった。
スコット・フィッツジェラルドさんは4th長編『夜はやさし』の中で、登場人物の一人である流行作家マキスコについて、上記のように書いています。
私はここを読んだとき、スコット・フィッツジェラルドさんは自分のことを書いているなと思いました。
これは悪く言うとパクりですが、シェイクスピアさんも完全な独創ではなく元ネタを利用しているし、ジェイムス・ジョイスさんの『ユリシーズ』もホメロスさんの『オデュッセイア』を下敷きにしているわけで、スコット・フィッツジェラルドさんがしていることも同じく「換骨奪胎」と言える範囲ではあるかなと思います。
ただ、あまりにも共通点が多いため、ちょっとズルいと言われても仕方がないレベルかもしれません。デビュー作から名作を連発していれば話は変わってくるかもしれませんが、前2作は3rd長編『グレート・ギャツビー』より明らかに劣るので、3rdで突如超名作が爆誕することは明らかに不自然…という見方もできなくはないからです。
『闇の奥』と『グレート・ギャツビー』の共通点5選
闇の奥:マーロウという語り手が、謎の男クルツを語る。噂話も混入。
グレート・ギャツビー:ニックという語り手が、謎の男ギャツビーを語る。噂話も混入。
闇の奥:
語り手に長々と作り話をする傾向あり(his propensity to spin yarns)
haze(もや)→この話の細部は不明(という匂わせ)(A haze rested on the low shores that ran out to sea in vanishing flatness)
グレート・ギャツビー:
語り手は判断を保留する(確定的なことは言わない)傾向あり(I’m inclined to reserve all judgements)
判断の保留について繰り返して強調(Reserving judgements is a matter of infinite hope)
『闇の奥』の冒頭には「mist(霧)」の記述があり、これをイメージするにはウィリアム・ターナーさんの絵画が有用だと思います。
the very mist on Essex marshes was like a gauzy and radiant fabric
Essex:地名、marsh:沼地、gauzy:紗のような、radiant:光を放つ、fabric:布地
『グレート・ギャツビー』側にこういう記述はないですが、全体に通底する判断の保留(確定的なことは言わない)を視覚化するなら同じくターナーさんの絵が有用と思います。また、2013年版の映画では、語り手のニックがいる診療所の外に雪が降っていて、視界が悪いところは、この「mist(霧)」感につながる演出だと思います。
闇の奥:他の全員が送ってくる象牙の量と同じ量をクルツ1人で送ってくる(Sends in as much ivory as all the others put together)→グレート
グレート・ギャツビー:(腐った奴ら)全員が束になってギャツビー1人と同じ価値(You’re worth the whole damn bunch put together)→グレート
※闇の奥
欧州内の混血であることをもってクルツ1人に欧州全域を代表させてる記述もあり(His mother was half-English, his father was half-French. All Europe contributed to the making of Kurtz)
闇の奥:クルツには信念があり、何でも信じることができた(He had the faith. He could get himself to believe anything.)
グレート・ギャツビー:ギャツビーは緑の光(過去の象徴)を信じていた(Gatsby believed in the green light.)
闇の奥:クルツの声はパワフルで、それは明確な才能(it is not entirely clear why Kurtz’s powerful voice -略- should be so quickly valued as an unambiguous gift)
グレート・ギャツビー:デイジーの声はお金で満ちている(Her voice is full of money)
私が気づけたのはここまでですが、まだ他にも『闇の奥』と『グレート・ギャツビー』の共通点はある可能性が高いです。両作品を読む際は、共通点を探しながら読むのも面白いと思います。
3rd長編『グレート・ギャツビー』の記事はこちら
スコット・フィッツジェラルドさんのまとめ記事はこちら
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